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唐ワンくんの唐津今昔物語136

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佐賀県唐津市

■「唐津の記念物」(18)
~唐津の史跡・名勝・天然記念物~
樋(ひ)の口(くち)古墳
樋の口古墳は、鏡山の西麓(せいろく)、鏡山小学校の校門付近に位置する古墳です。
墳丘(ふんきゅう)の一部が樋の口ため池に利用されているため、墳形が不明瞭になっていますが、直径14.4mの円墳と考えられています。
古墳の石室は、砂岩の割石を積み上げたのち、1枚の平石を載せることで天井としており、全面に赤色顔料(せきしょくがんりょう)が塗られています。また、石室の特徴として、石障(せきしょう)と呼ばれる、板状の仕切り石を石室内の四面と中央部に立て、室内を前後に2分しています。このような構造をした石室は、唐津でほかに例がなく、肥後(ひご)地方(現在の熊本県)に多く分布していることから「肥後型」横穴式石室と呼ばれています。
古墳は盗掘を受けており、正式な調査は行われていませんが、鏡2面・勾玉(まがたま)4個・鉄製武器類が出土したと伝わっています。遺物の詳細が分からないため、古墳が造られた時期も不明ですが、肥後地域の類似する古墳との関係から、5世紀後半~末頃に造られたのではないかと推測されています。
樋の口古墳が造られたとされるこの時期は、当時、高句麗(こうくり)に攻撃を受けていた百済(くだら)を援助する目的で、肥後地域で生産された馬を、唐津などの玄界灘沿岸経由で百済に送る体制が構築されていたと推定されています。このことから、樋の口古墳は、肥後地域と唐津の関係や、当時の国際情勢を知るうえで、非常に重要な古墳と言えるでしょう。

問合せ:生涯学習文化財課
【電話】72-9171

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