文字サイズ
自治体の皆さまへ

小城市立歴史資料館・中林梧竹記念館だより

31/38

佐賀県小城市

■令和5年度 「むかしの道具にみるくらしのうつりかわり展」を開催中です
現代との生活の違いについて考えるくらしのうつりかわり展を開催中です。
柱時計や黒電話、教科書などを展示しています。
期間:~2月25日(日)
場所:歴史資料館 企画展示室
観覧料:無料

■令和5年度 中林梧竹記念館収蔵品展「屏風の名品」を開催中です
中林梧竹の屏風の名品を展示し、梧竹の書歴をたどります。
今年度寄贈された初公開の屏風も展示しています。
期間:~3月3日(日)
場所:中林梧竹記念館 常設展示室
観覧料:200円(大学生以下無料)

■おぎの歴史探検隊
○神子栄尊(じんしえいそん)禅師、小松山で修行〈その1〉
小城町晴気東小松にあった「小松山建保寺」は蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の開山とされますが、その前に筑後三潴(みずま)生まれの僧、神子栄尊が修行していたことがあります。
栄尊禅師は初めの名を口光(こうこう)といい、平清盛(たいらのきよもり)の甥保盛(やすもり)の家人平康頼(たいらのやすより)の子といわれます。
康頼は中原氏の出で、後に平姓を賜りますが、安元3(1177)年、鹿ケ谷の陰謀(京都で起こった平家打倒の謀議)に加担したとして薩摩国鬼界が島(現在の硫黄島(いおうじま))に配流(はいる)されます。その折、三潴在の藤吉種継(ふじよしたねつぐ)の娘と結ばれ誕生したのが口光(後の栄尊禅師)です。生まれたとき口から光を放っていたといわれます。
栄尊禅師が20歳になった建保2(1214)年、肥前晴気の小松山に庵を結び修行します。
なぜ小松山を選んだのか。康頼の主である保盛のいとこ、平重盛(たいらのしげもり)(平清盛の子)を小松殿といいますが、そのゆかりの地であったことが考えられます。
後の小松山建保寺に祀られていた木造千手観音菩薩立像(佐賀県重要文化財)は、この時栄尊禅師によってもたらされたのではないかと考えます。
3年の間敷居を跨(また)ぐことなく修行したといわれますが、その後、上野(こうずけ)(群馬県)長楽寺の釈円栄朝(しゃくえんえいちょう)に参じ、臨済宗の僧、円爾弁円(えんにべんえん)(聖一国師)と出会うことになり行動を共にします。(続)
小城郷土史研究会/著

開館時間:9時~17時
休館日:毎週月曜日・祝日

問合せ・申込み:歴史資料館 文化課(桜城館2階)〔担当:下川・永田〕
【電話】71・1132
小城市ホームページから「梧竹・歴史資料館・文化財」検索

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU