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歴史探訪 シリーズふるさとを見直そう

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兵庫県丹波市

■雑誌『元気』と黒井の有志
神戸大学大学院人文学研究科 出水清之助

今回は、明治時代に黒井で発行されていた雑誌『元気』について紹介します。
雑誌『元気』は、明治二五年(一八九二)に「兵庫県丹波国氷上郡黒井村字黒井村第二三九番地先憂館(せんゆうかん)」から発行されていました。現存しているのは、第一号(五月二二日発行)と第二号(六月二九日発行)の二号分のみで、ほとんど所在が確認されていない貴重な史料です。
一号・二号ともに約70頁で構成されており、内容は政治を中心に、経済・文芸・学術・宗教・教育など多様なジャンルの文章が掲載された「総合雑誌」的な性格を持っていました。
『元気』の発行主体であった「先憂館」ですが、第二号に掲載された「先憂館々憲摘要(せんゆうかんかんけんてきよう)」という規約によると、同館には、館長・副館長・会計掛・理事・編輯主幹・地方幹事といった役員が置かれ、組織的な運営がされていたようです。規約からは、役員以外にも発起人・賛助員・特別員といった、雑誌の講読および普及を支える存在も確認できます。「先憂館」は『元気』を発行するために設立された、当時では大きな組織であったと思われます。
『元気』の発行を企画し、先憂館の中心メンバーとして動いていたのが黒井の有志たちです。周辺の史料も含めて考察すると、石橋末吉(すえきち)(先憂館・館長)、山本菊蔵(きくぞう)(同・副館長)、林寅之助(とらのすけ)(同・会計掛)、荻野貞次郎(さだじろう)、三崎源之助(みさきげんのすけ)などが、中心メンバーであったことがわかります。彼ら黒井の有志はいずれも、氷上郡内で有数の経済的基盤を持ち、黒井村の村長・村会議員など地域運営にかかわる公職を歴任する名望家でした。彼らは発行当時、20歳代後半から30歳代前半であったという点でも共通しています。雑誌『元気』は、こうした地域運営を担う若い世代の人々によって発刊されていました。
彼ら黒井の有志の存在は、明治期の氷上郡の政治社会を考えるうえでも重要であり、今後さらなる研究が必要とされています。

問合せ:社会教育・文化財課(山南庁舎内)
【電話】70-0819

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