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我がまち朝来 再発見(第187回)

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兵庫県朝来市

■竹田城跡の排水溝
6月に入り、梅雨の季節がやってきました。雨で洗濯物が乾きにくい日が続きますが一方で、この時期の雨は恵みの雨として大切なものです。6月6日は1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたものである二十四節気(にじゅうしせっき)でいうところの「芒種(ぼうしゅ)」をさします。芒種とは、稲や麦など穂の出る植物の種を蒔く頃のことで、これから迎える真夏に備え、大地を潤してくれる雨を取り込む大切な期間なのです。
雨に関連するお城の話として、日本には見事な排水機能を備えたお城が全国各地に残っています。戦国時代に建てられた金山城(かなやまじょう)(群馬県)では石畳(いしだたみ)に付随するように排水路が敷設されています。また、江戸時代初期の丸亀城(香川県)では石垣に13カ所もの排水口が設けられています。この排水路は竹田城跡においても同様です。
竹田城跡では『史跡竹田城跡整備基本計画』に基づき、平成30年度から本格的な竹田城跡の整備事業に取り組んでおり、冬季閉山期間中に遺構(いこう)の現状確認調査と通路の整備工事を実施しています。この発掘調査等により3カ所で排水溝が見つかっています。それでは1つずつみていきましょう。
1つ目は令和3年度の発掘調査で南千畳の出入り口にあたる、東(ひがし)の丸櫓門(まるやぐらもん)で見つかりました。石垣と同じ花崗岩(かこうがん)製で、溝は南北方向に走る通路に対して縦横断にL字状に配置されています。縦断の排水溝は石垣に対して軸線がやや東に振れています。これらの遺構から推測するとおそらく雨水は横断溝をつたって東側の石垣の縦断溝に流れていたと考えられます。
2つ目は令和4年度の発掘調査で確認した二の丸中央部から東西方向に延びる石組排水溝です。花崗岩製で大きさは南千畳で見つかったものとほぼ同じ大きさをしています。溝の底には薄い石が敷かれており、丁寧なつくりをしています。この排水溝は近くに建物礎石があることから、建物の周囲に張り巡らせて雨受けの機能をもつものと考えられます。
3つ目は平成25年度の発掘調査で天守台下部から見つかった排水溝とみられる石組溝です。この石組溝内には軒丸瓦(のきまるがわら)が2点並べられており、瓦がなぜ置かれていたかは不明です。この排水溝は石垣の背面に溜まった水を排出していたと考えられます。
このように排水溝は現在では埋まってしまっていて、目にすることはできませんが、城が造られた頃にはさまざまなところにあったことが想像できます。排水溝は雨水を処理し、石垣を適切な状態で維持をするために欠かせない機能を果たしていたのです。
朝来市では、本年の11月に「第30回全国山城サミット朝来大会」を開催します。通常は非公開としているエリアの井戸曲輪(いどくるわ)を、サミット期間に限定で一般に公開します。この機会にぜひ竹田城跡にお越しください。
※画像など詳しくは本紙をご覧ください。

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