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我がまち朝来 再発見(第188回)

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兵庫県朝来市

■灯りの移り変わりとコワニェのランプ
七月ともなると、暑さとともに日中の日差しの強さから夏という季節を実感する日が多くなってきます。とはいえ、一年のうち最も陽が長い日である夏至(げし)(今年は六月二十一日)も過ぎ、今後は夜の割合が徐々に増えていくことになります。現代の私たちは暗くなればスイッチひとつで電気を点けることができますが、ひと昔前までは小さな灯(あか)りひとつ灯(とも)すにも、ひと手間ふた手間が必要でした。
灯りを得る最も原始的な方法は、木などの植物性のものに火を点けることです。特にマツなどの脂分が多い木材は長時間燃えるため、よく使われました。やがて火を灯す燃料として魚油や菜種(なたね)油が使われるようになります。灯明皿(とうみょうざら)に油を注ぎ、植物性の灯心(とうしん)を浸してその先に火を灯します。灯明皿を中に入れた行灯(あんどん)などの灯火具(とうかぐ)も作られるようになりました。江戸時代に入ると、油の他にろうそくが普及します。国産のハゼの実などを原材料とする和ろうそくが広く使われるようになり、それとともにろうそくを立てる燭台(しょくだい)や、携帯用の手燭(てしょく)、提灯(ちょうちん)など用途に合わせた灯火具が作られるようになりました。
江戸時代の終わりになると、西洋から石油ランプが伝わります。石油(灯油)を燃料として、油壺に浸した芯の長さを調節ネジで変えることによって光量を調整することができました。火を安定させるために取り付けられたガラス製の風防(ふうぼう)は「ほや」と呼ばれ、使っているうちに煤(すす)が付くため、こまめに内側を掃除する必要がありました。天井や壁に掛けて使う吊ランプや、床に置いて使用する置きランプなど多様な形があり、各家に電灯が普及するまで、この石油ランプが大事な灯りのひとつでした。
生野には、コワニェが使用したと伝わる明治時代の貴重なランプが伝わっています。全部で4体あり、本紙写真のふたつはそのうち燭台が同種の陶器製のものです。「ほや」があったと思われる部分は失われていますが、台だけでもそれぞれ高さ54.5センチと幅18センチ、高さ62センチと幅18センチの大きさがあり、絵付けもされていることからインテリアとしての存在感があります。陶器製のランプ台の底面内側には「姫路製」との文字があり、姫路藩の藩窯(はんよう)として栄えた東山焼(とうざんやき)であることがわかります。
コワニェとは、明治初年に生野銀山に主任技師として招かれたフランス人、ジャン・フランソワ・コワニェ(1835〜1902)のことです。実際にコワニェが使用していたという確かな証拠はないのですが、その名が付いたランプは生野の人々によって大事に受け継がれてきました。
これらのランプは、7月1日(土)〜8月6日(日)、朝来市埋蔵文化財センターで開催する「巡回展 日本遺産 銀の馬車道鉱石の道〜播但貫く近代化産業遺産〜」でご覧いただくことができます。入場無料ですので、この機会にぜひお越しください。
※詳しくは本紙をご覧ください。

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