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名誉町民 中村隆俊先生 ご逝去

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北海道せたな町

ここに生前のご遺徳を偲び謹んで哀悼の意を表します

■『お別れの会』に2千人が故人を偲ぶ
令和4年12月9日享年95歳でご逝去された初のせたな町名誉町民中村隆俊先生(戸田中央メディカルケアグループ創立者・名誉会長)を追悼するお別れの会が、去る3月21日東京都内のホテルニューオオタニ鶴の間で、午前と午後と2回行われ、合わせて2千人が参列しました。本町からは高橋貞光町長と真柄克紀町議会議長が参列し、常に郷土に心を寄せられ、物心両面にわたるご尽力への感謝と、生前に果たされた偉大なご功績をたたえ、在りし日のお姿を偲び献花を行いました。

○中村隆俊先生のご経歴
1927(昭和2)年10月、旧瀬棚町で生まれ、幼少期は東瀬棚尋常高等小学校に学び、1950(昭和25)年3月北海道大学医学部を卒業して医師の道を歩まれました。
1962(昭和37)年に埼玉県戸田市で29床の戸田中央病院(現・戸田中央総合病院)を開設。昨年60周年を迎え、1都4県下で29病院、6老健施設、特別養護老人ホームなど120施設、職員総数1万6千人の医療グループに成長させています。
現在、戸田メディカルケアアグループ(TMG)会長には、ご子息の中村毅先生が就任され、創立の理念「原点回帰」の決意のもとに、「地域包括ケアシステム」の更なる進化に向けて邁進されております。

○栄誉
平成4年…交通栄誉章緑十字金章 受章
平成12年…勲四等旭日小綬章 受章
平成28年…戸田市名誉市民 第1号受章
平成29年…
渋沢栄一章 受賞
紺綬褒章 受章
平成31年…初のせたな名誉町民章 受章

『故・中村隆俊先生の遺徳を偲ぶ』
埼玉新聞追悼特集版掲載
郷土の誇り、せたな町名誉町民中村隆俊先生。このような大きな存在を失うことは、せたな町民にとって誠に痛恨の極みであります。
先生のご先祖は、加賀で千石積弁財船8艘を有する海運業を営み、明治前期に祖父中村市五郎氏が新天地を求めて北海道に渡られ、明治30年代に当時の旧瀬棚町へ移住されたことに始まり、そのご縁は120年余に及びます。
祖父市五郎氏から家業を受け継ぎ、雑穀卸販売など多角経営で繁栄を築かれたのが、先生のお父上中村末吉氏であります。家業の傍ら戦前戦後を通じて議会議員に就かれ、地場産業の振興や教育援助基金の創設などに奔走され、上京後も本町に常に心を寄せていただき、町政の進展にご尽力いただきました。
父 末吉氏の教えは、幼い頃の先生ご兄弟に「三本杉岩の誓い」として結実し、名実ともに日本の医療・保健・福祉分野を牽引する礎を築かれ、先生の果たされた多くのご功績、社会貢献は、郷土せたな町民の誇りであり栄誉であります。
せたな町で開業した埼玉・妻沼の日本初の公許女医荻野吟子女史の「一粒の麦荻野吟子の生涯」の映画で、祖父市五郎氏が女史を励ます三本杉岩のシーンは、中村家の時を越えた「ふる里の絆」に、思いを馳せられたことでしょう。
中村隆俊先生、あなたの温顔、あなたの大きなお姿を決して忘れません。
あなたがふる里の海と三本杉岩に誓われた凌雲の志と、幾多のご功績は、せたな町民の胸に敬愛の念をもって、後世まで深く刻んでまいります。
どうぞ、安らかにお眠りください。

北海道せたな町長 高橋貞光

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