余市町の埋もれた歴史等を紹介し、改めて余市町を再認識するコーナーです。
~その235~『鰊曇りに群来たのか』
今年も群来ました。2月7日の朝、浜中町の前浜で小規模に見られた後、翌8日には白岩町で広範囲に群来が見られました。群来は大群で押し寄せたニシンが放出する白子によって海が白濁する現象を言います。かつての群来は凪の日の夕暮れから夜明けに見られたと言われました。
群来のことをこれまで何度か取り上げましたが、各地の鰊の来遊状況を記録した『鰊漁況調査報告』(以下『報告』)から、余市や小樽で豊漁だった大正14(1925)年の様子を見ていきます。
各年度の『報告』は各水産組合(水産会)の調査員によって書かれます。天候、気温などのほか、「総漁獲高、漁獲ありたる地方の漁獲高と乗網時刻、漁獲無かりし地方、投網せざりし地方、去来の方向と産卵の有無」などが記録されます。
この年の鰊漁は積丹半島の神恵内村から、宗谷方面、さらにオホーツク海側の枝幸町までで行われました。『報告』を見ると、着業準備を含めた漁の期間が余市では3月26日から5月12日まで、枝幸町では4月1日から6月28日まででした。サハリン西海岸沖から南下する鰊の群れは、3月中に石狩以南に回遊し、4月上旬から利尻、礼文に移動しました。同月下旬には石狩以南で漁獲がなくなり、留萌以北は4月中旬から5月下旬まで、オホーツク海側は4月下旬からほぼ5月いっぱいまで漁がありました。
『報告』の余市町分を見ると、この年最初の鰊は3月31日の午後5時に見られ、翌朝までに7,340石(約5,500トン)の漁獲がありました。島泊、湯内、出足平、ユーベッポ、歌越、活茶良碓(カッチャライシ)、尻場(シリパ)、大浜中(浜中か)で漁獲がありました。「去来の方向と産卵の有無」の項目を見ると、島泊小字ワッカケ、尻場小字二ツ岩、大浜中に最初に魚群があらわれました。この日は晴れ、南西の風は穏やかで、波は「中波」とあるので、凪ではなかったようです。最初の産卵が見られたのは3月31日で海岸の広範囲に及び、その後は4月3日(曇)にニボカイ(歌越付近か)で、同5日(曇)は滝ノ内(潮見町の滝ノ澗か)、尻場、カッチャライシで、同6日(曇)に歌越、ニボカイで産卵しました。
群来る時は曇るといわれます。「ニシンが群来るときは空はどんよりとして~これをニシン曇りといい~風は沖から浜に向けて吹いています。このような静かな海にヒタヒタと押し寄せるニシンは、浜からは見えませんが、無数のカモメが海上スレスレに乱舞し、ニシンと共にやってきます。すると見る見るうちに海面は、鰊の精液のために、銀白色になります。」(『鰊場の話郷土読本1』堀耕さん)
「いよいよ海の状況も熟し、北西の強風もおさまって沖合にゴメが乱舞、波の上に広範囲に羽を休めているのが見えてくる。~中略~風もなく、波がおさまって海上がどんよりしてきたころ、鰊が接岸、乗網が始まる。」(『鰊場物語』内田五郎さん)。
昭和30年頃までの春鰊漁が活況だった頃、「群来」とは反対にチラホラと鰊が来ることを「ケラケラ鰊」と言いました。
かつての群来を知る町内の方に「群来ましたね」と挨拶すると、「群来だってが?ケラケラ鰊だべや」と笑われました。
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