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特集~祝!サンモリッツ・倶知安姉妹都市提携60周年~友好を築き続けた60年(1)

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北海道倶知安町

今年、2024年はスイス・サンモリッツ市と倶知安町が姉妹都市の提携を結んでから60周年を迎える記念すべき年です。
今月号の特集では、サンモリッツとの歩みやサンモリッツの魅力を改めてお伝えするほか、4年ぶりに実施した青少年交流事業や60周年を記念して実施する予定のイベントなどを紹介します。

■“東洋のサンモリッツ”倶知安町
『東洋のサンモリッツ』と呼ばれる倶知安町ですが、初めて『東洋のサンモリッツ』という表現をしたのは、本町にスキー技術を伝えたオーストリア武官のレルヒ中佐であったと言われています。
今から100年以上も昔、1912(明治45)年、北海道の山を滑ったレルヒ中佐は、「北海道の冬の景観は、第二のスイスである。10年後には『東洋のサンモリッツ』として大発展を見るであろう」と発言しました。
その後、1928(昭和3)年には、スポーツ振興に力を注いでいた秩父宮様(昭和天皇の弟)が、スキー旅行でニセコエリアに訪れました。当時の新聞記事は、「『極東のサンモリッツ』に最後の御思出霊泉に恵まれた好スロープ御滞在は三日間」と題し、スキー場の様子を紹介したことから、後に倶知安町は、『東洋のサンモリッツ』と親しまれ、国内でも人気のスキー観光地となりました。

■“ハンカチ”からつながる世界
海外旅行もマイナーだった1964(昭和39)年、インスブルック冬季五輪視察のため、サンモリッツ市を訪れることとなった当時の高橋清吉町長らは、宿泊先のホテルにてサンモリッツ市長のフリッシュ・サルトモ氏と対談しました。高橋町長は、サルトモ市長へ町の素晴らしさを伝え、用意したニセコの絵ハガキやバッジ、人形を贈り、大変喜ばれました。
1時間30分にわたった対談の最後、高橋町長から姉妹都市提携の話を持ち出したところ、サルトモ市長は2つ返事で快諾し、この話が本当であることの証明として、倶知安町側が持っていたハンカチにサルトモ市長のサインと公印が押されました。
高橋町長は持ち帰ったハンカチをもとに町議会へ説明を行い、同年3月19日にサンモリッツ市との姉妹都市提携が決議され、国内初となるスイスの都市との姉妹都市提携となりました。

・1964年(昭和39年)
インスブルック冬季五輪視察のため渡欧中の高橋清吉町長がサンモリッツ市を訪問
フリッシュ・サルトモ市長へ姉妹都市提携を提案し、姉妹都市提携に至る
・1968年(昭和43年)
グルノーブル冬季五輪視察のため渡欧中の吉田冨美雄町長がサンモリッツ市を訪問提携後初の人的交流となる
・1982年(昭和57年)
初の民間訪問団23名がサンモリッツ市を訪問
・1986年(昭和61年)
サンモリッツ市から初の公式訪問団9名が来町
・1988年(昭和63年)
姉妹都市提携25周年を記念し、サンモリッツ市から「アルプホルン」3本の寄贈初の公式訪問団宮下雄一郎町長ら26名がサンモリッツ市を訪問
・1991年(平成3年)
倶知安町開基100年記念を祝し、サンモリッツ市から第2回公式訪問団15名が来町
・1996年(平成8年)
初の青少年交流事業として中高生2名をサンモリッツ市へ派遣
翌年、サンモリッツ市から初の留学生2名が来町
・1999年(平成11年)
姉妹都市提携35周年を記念し、サンモリッツ市から第3回公式訪問団4名が来町通信員制度の充実など4点にわたる姉妹都市交流事業に合意し、調印式を行う
・2014年(平成26年)
姉妹都市提携50周年を記念し、サンモリッツ市から第4回公式訪問6名が来町
第4回公式訪問団福島世二町長ら23名がサンモリッツ市を訪問

姉妹都市提携から60年間、互いに交流を深め、友好を築いてきました。
町は、末永くこの関係が続くことを願っています。

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