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[特集]寒地稲作に成功して150年(1)

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北海道北広島市

稲作は、道南より北の地域では難しいと考えられていましたが、そのことにも負けず挑戦し成功させたのは中山久蔵でした。この米は「赤毛」という品種で、成功から今年でちょうど150年の節目の年になります。

◆150年の歴史
中山久蔵は、現大阪府南河内郡太子町の出身で、仙台藩に仕えた後、明治4年、44歳の時に島松沢に入地しました。
明治6年、久蔵は現在の旧島松駅逓所の場所に永住を決意し移り住み、この年に赤毛の栽培を試みました。稲作に向いていない水温の低い地域ではありましたが、水を温める工夫をし、同年、苗は見事に育ちました。
久蔵の功績を世に知ってもらうため明治40年頃に発行された中山久蔵遺蹟録には、「明治6年、水田を開き、赤毛を渡島国亀田郡大野村から購入して播種し、生育良好にして一反歩に換算して二石三斗の好結果を得た」などと記してあります。この収穫量を現在の単位で考えると10aに換算して345kgになります。久蔵はその後も稲作を続け、幾多の困難を乗り越えて安定した収穫が得られるようになったということです。赤毛はその後、北海道米の奨励品種(道内で普及すべきとして認定した優れた品種)第1号となりました。
明治12年、久蔵が作った赤毛が初めて世に出ることになりました。また、米を栽培したいと志す者に対して無償で種もみを配布し、寒地での稲作の普及に大きく貢献しました。これらは約30年間にわたって続けられ、時には稲作指導のため自身も各地に赴いています。
明治43年には、永山村(現旭川市)農会から、久蔵が配布した種もみにより稲作が良い成績を収めていることへの感謝状を受けています。
難しいとされてきた寒地での稲作の普及に尽力し、北海道が一大米作地帯となる礎を築きました。永山村農会の感謝状は旧島松駅逓所で展示しています。
久蔵は、北海道の稲作収穫量が100万石(1石は約1000合)を達成することを夢見てきましたが、残念ながらこれを達成する1年前の大正8年に92歳で亡くなっています。
この赤毛の遺伝子は、北海道米の品種である「ななつぼし」や、「ゆめぴりか」などに受け継がれています。こうしたことから久蔵は、「寒地稲作の祖」などと呼ばれています。

◆中山久蔵の挑戦
中山久蔵の公私による努力の原点は、中山久蔵遺蹟録の一文「~嘉永六年マテ江戸大阪及ヒ諸国ノ間ニ流寓シ一モ得ル所ナシ~(嘉永6年までは江戸や大阪、またいろいろな地域を放浪して居住したりもしたが、一つも得るものが無かった)」から読み取ることができます。
未だに何も成し遂げていないと感じていた久蔵は、強い志をもって何事にも挑戦し、成果をあげてきました。その成果の一つとして、自作の作物を品評会に出品することが幾度かありました。明治10年には第一回内国勧業博覧会に稲を出品し、優れた作物であるとして大久保利通内務卿から賞状を受けています。また、稲作ばかりでなく畑作にも力を入れており、明治17年には岩手県勧業博覧会へ小豆を出品するなど、先駆的な取り組みを続ける篤農家としても知られています。
明治14年、明治天皇が北海道を訪問することとなり、久蔵宅は昼食休憩のための御昼行在所(御休憩所)に指定されました。久蔵は明治天皇の訪問に際し、エンジュ、カツラ、トドマツなどの質の良い材料を使い、面積200坪の宅地に建坪88坪の玉座(天皇の座る場所)などを自費1350円かけて新築しました。
明治14年9月2日、明治天皇は久蔵宅に到着し、久蔵が作った米を食べ、米作りについて質問をしました。
それに対し久蔵は、明治6年から13年までに収穫した赤毛を見せたといいます。この時に明治天皇からは、行在所を新築した褒美として金300円や御紋付三組銀杯のほか、昼食を務めたことで金25円などを賜りました。
その後も明治天皇とは親交がありました。明治24年、侍従であった片岡利和が北海道を視察した際、明治天皇からの土産品を久蔵へ届けたこともありました。
明治天皇に捧げた米を栽培した久蔵の田は、神饌田(しんせんでん)(祭礼において神様に捧げられる稲をつくる水田)となりました。

◆市史を伝える旧島松駅逓係
中山久蔵は、駅逓所の業務にも尽力してきました。駅逓所とは、交通の不便な土地に人が宿泊できる施設と人馬を備え、物資の輸送などを行うために作られたものです。
久蔵は明治17年、札幌県駅逓係から4代目駅逓取扱人の命を受け、正式に駅逓業務に従事していますが、それ以前の明治13年には、旅行者の記録に島松での宿泊は中山家であったことなどが記されていて、このころから業務が引き継がれつつあったと考えられます。明治30年に島松駅逓所が廃止されるまで駅逓業務は中山家によって行われました。
北海道各地に設置された駅逓所は、延べ600カ所以上と考えられます。旧島松駅逓所は、明治以降最も早く主要道の札幌本道(現国道36号)沿いに設置された駅逓所で、道内に現存する駅逓所の中では最古のものです。また、北海道の交通や産業にかかわる近代史の一断面を今に伝えるものとして、とても貴重な史跡となっています。
現在、旧島松駅逓所は北広島市の観光名所の一つとして、皆さんに観覧されています。

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