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自治体の皆さまへ

“あの日”と”いま”を繋ぐ―村民おもいでリレーNo.6-

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北海道新篠津村

■そしてこれから
豊野
森田 市郎さん(89)

◆忘れぬ思い出
私は新篠津村で生まれ、農家の8人兄弟の末っ子でした。早くに父を亡くし、兄たちとは年齢が離れていたので、兄たちが父親代わりでした。ただ兄たちは戦争で徴兵されたので、私は子どものころから農業を手伝っていました。当時は、燕麦や小豆などを育てていて、今のように米は育たなかったんだよ。
その頃は大雨になると石狩川だけでなく、近所の沼川も氾濫しました。そうなると畑の野菜、特に豆類はダメになってしまうのです。雨にはその後もかなり悩まされましたね。
戦争が終わると兄たちは札幌で暮らすことを選択したのでおのずと私は村で農業をしました。妻と結婚したのは26歳のときです。お互い村出身でしたが知人の紹介で出会い、札幌雪まつりに二人で行ったのが初デートですね。江別までバスで行き、そこから電車に乗って会場に行きました。当時から大きな雪像がありましたよ。

◆苦楽いろいろ
私は農業だけでなく綿羊を飼育していました。育てた羊から毛を刈り、業者に販売したり、自分でセーターにしたりしていました。年老いて毛が固くなった羊はジンギスカンにして食べました。当時は羊を飼っている家は多く、村では綿羊まつりという多くの人が参加するイベントもあったものです。ドラム缶を半分に割ったものに鉄板を乗せ、みんなでどぶろくを飲みながら羊肉を食べます。私はタレを作るのが得意だったので当時の村長から「祭りのタレは任せたぞ」と言われ、解体した羊を自家製のタレに漬け込む担当でした。
動物と言えばほとんどの農家が当時は馬を飼っていて、馬は家族同然でしたね。農耕のほか、冬には客土といって金沢の山から畑に適した土を馬ソリに積んで苦労しながら運んだものです。新篠津は泥炭地で畑に適していなかったので山から固い土を持ってきて入れ替えていました。昔は祭りとなると石狩川の堤防で競馬をやったものです。そういえば先日は4年ぶりの青空まつりでしたね。花火の音が聴こえてきました。

◆今を楽しむ
健康の秘訣ですか。食事で肉を沢山食べています。一家団らん、庭でジンギスカンをよくやりますよ!あとはパークゴルフ。今年は行けませんでしたが来年は絶対行きたいですね!

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