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自治体の皆さまへ

被爆78周年原水爆禁止世界大会(1)

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北海道歌志内市

本市では、昭和62年9月に非核3原則の堅持と恒久平和を願い、明るく心豊かで幸せな市民生活を守るため、『非核平和都市宣言』を行いました。
8月4日から原水爆禁止世界大会・広島大会に参加した歌志内学園9年生の植田泰正(うえだたいせい)さん、川野珠莉杏(かわのじゅりあ)さん、進藤(しんどう)ゆきなさん、熊谷篤輝(くまがいあつき)さん、中川瞬(なかがわしゅん)さんの感想文を紹介します。

■原水爆禁止世界大会を振り返って
歌志内学園9年 植田泰正さん
私は8月4日から6日にかけて広島県に行きました。1日目は移動の日で、初めて飛行機に乗るので検査などで引っかからないか心配でしたが、無事に乗ることができました。
広島に着いてからは、最初に平和行進に参加しました。猛暑の中、平和公園の周りを行進しました。北海道とは違う暑さの中で約30分間歩いたのでつらかったです。
行進を終えた後、原水爆禁止世界大会の開会総会に参加し、スピーチを聞いて、ビデオメッセージを見ました。その中で一番印象に残っているのは被爆者の桑本勝子さんのスピーチでした。桑本さんの話によると、広島市内の人々は普通に生活していて無防備のまま原爆の炸裂(さくれつ)を受けて、それが原子爆弾だとは知らずに死んでいった人がたくさんいたそうです。
私はこの話を聞いて今まで思っていた以上に原爆は恐ろしく、残酷なものだと思いました。学校の授業や、テレビなどを見て知っていた原爆の被害は、一部でしかなく人々の心に深い傷を残すものだと知りました。私は子どものころに体験したつらい経験を多くの人々に伝えようと活動されている桑本さんは本当に強い方だと思いました。
2日目は広島分科会に参加し、核兵器についての話や広島の核について考える活動の話を聞き、核を取り上げている映画を見ました。その後は宮島に行って観光してきました。
3日目は原水爆禁止世界大会のまとめ集会に参加しました。そこでは核廃絶についての話を聞きました。私は話を聞いていち早く核をなくそうと思いました。その後に原爆資料館に行きました。そこには当時の悲劇を物語るものが展示されていて、原爆の恐ろしさを実感できました。
私は、この3日間の研修を終えて、原爆の悲惨さ、核の無い世界、今、問題になっているALPS処理水の海洋放出など様々なものを考えさせられ、とてもいい経験になったと思います。

■原水爆禁止世界大会に参加して
歌志内学園9年 川野珠莉杏さん
8月4日から6日にかけて、広島に行きました。
8月4日。広島に到着してまず、最初にデモ行進をしました。代表者のかたがたを前に、北海道から日本列島の順になり、約30分間行進し続けました。北海道では感じることのできない程の猛暑の中、「ノーモア広島」「ノーモア長崎」などと声をあげ、デモ行進を終えました。行進後、私たちは「被爆周年原水爆禁78止世界大会」に参加しました。原水爆禁止世界大会では、被爆者の方の話や、外国の方からの話を実際に聞きました。今まではインターネットを通じてしか聞くことのできなかった被爆者の方の話を直接聞くのと、画面越しに聞くのとでは全く違いました。被爆者の方の話の中でも一番印象に残っているのは、「原爆が投下されてしばらくは周りが灰やガラスが飛び散って何も見えなかった」という一文です。私は話を聞きながら想像していました。この大会に参加した私は、被爆したかたがたの気持ちに寄り添い、改めて核兵器の恐ろしさを学ぶことができました。私は、この事実を世界中の人々に知ってもらうことが大切だと思います。そのため、原水爆禁止世界大会やデモ行進を継続し、もっともっと世界中に伝えていくべきだと思いました。
今回の経験を今後に生かし、日々平和について考え、諸外国との友好関係についてもしっかりと学びたいと思います。引率で私たち5人を引っ張ってくださった林さん、そして貴重な経験ができる機会を設けてくださった歌志内市の関係のかたがた、北海道の団体の皆さま、本当にありがとうございました。

■原水爆禁止世界大会に参加して
歌志内学園9年 進藤ゆきなさん
私は8月4日から6日にかけて、広島の原水爆禁止世界大会に参加して核兵器の残酷さや悲惨さを学びました。
その3日間の学習の中で特に印象に残ったことが2つあります。
1つ目は、実際に被爆者の方から話を聞いたことです。被爆者の桑本勝子さんという方が、被爆体験を語ってくれました。原爆が落とされたときはサイレンが鳴らず、みんな普通に生活していたことや、被爆後、川に水を飲みに行った人は続々と亡くなってしまったこと、疎開先から広島に帰ってきた子どもの4分の1は両親が居なくなってしまったことなど、原爆が落とされた直後からその後のことまで、いろいろなことやそのときの心情について語ってくれました。実際に被爆した人の話を聞くと、その人の心情が強く伝わってきて教科書や資料集を読むよりも本当に原爆が落ちたんだ、という実感が湧きました。
2つ目は、原爆資料館に行ったことです。資料館にはボロボロになった服やたくさんのガラス瓶が溶けて1つになった物、熱で焦げてぐしゃぐしゃになった三輪車など、原爆の恐ろしさを肌で感じるような物がたくさん展示されていました。実際に被爆した物を見るのは初めてだったので、このときも原爆が落ちたことに対しての実感が湧きました。
広島に投下された原子爆弾は、強烈な熱線や爆風、放射能で、その年の内に14万人もの生命を奪いました。このような過ちは二度と繰り返してはならないもので、私たち若者が中心となり、全世界に原爆や核兵器の恐ろしさを伝えていくべきだと思いました。

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