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市民編集企画 美唄で発見された田嶼碩朗(たじませきろう)の彫刻作品

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北海道美唄市

市民編集委員 美唄市郷土史研究会
福田征機

北海道大学のクラーク胸像など多数の作品を制作した田嶼碩朗(たじませきろう)の作品が、戦時下の金属回収令をくぐり抜けて、美唄に三作品残っていることが分かりました。

■田嶼碩朗とは
田嶼碩朗(1878年~1946年)は明治、大正、昭和の三時代にわたり彫刻家として活躍し、彫刻界の元老と評され、北海道大学の「クラーク胸像(正式名はウイリアム・S・クラーク胸像)」、札幌大通公園の「聖恩讃仰塔(せいおんさんぎょうとう)」など、生涯にわたり多数の作品を制作しました。
田嶼碩朗は、東京美術学校彫塑(ちょうそ)科(現東京芸術大学)に入学し、上野公園にある西郷隆盛像の制作者として有名な高村光雲(こううん)教授に師事。卒業後は院展、帝展などで入賞を繰り返し、美術学校で教授となるよう勧められましたが彫刻家としての道を選びました。
クラーク胸像は、北海道大学創基五十周年を記念し、碩朗が北海道大学から制作を依頼され制作した作品です。建立実行委員長の南鷹次郎は、空知神社にある櫻井良三の顕彰碑や鷲見邦司(すみくにじ)の(※)頌徳碑(しょうとくひ)に刻まれている文章の作者であり、当時の大学総長 佐藤昌介(しょうすけ)は、同じく櫻井良三の顕彰碑の題字を手がけるなど、美唄に縁のある人物達でした。像は1926(大正15)年5月10日に建立されており、同年に、石膏原型を着色したものが宮部金吾北海道帝国大学(現北海道大学)名誉教授に寄贈され、現在も宮部金吾にゆかりのある札幌独立キリスト教会で大切に保存されています。クラーク胸像は1943(昭和18)年6月に戦時下における金属回収令により提供されましたが、石膏原型を使用し再鋳造されており、現在のクラーク胸像は、1948(昭和23)年10月に再建立されたものです。
※頌徳碑とは、功績をたたえる文章を刻んだ碑のこと

■美唄に現存する三作品
作品の第一は、1930(昭和5)年9月、大富土功組合によって富樫神社境内(現在は大富神社に移設)に建立された鷲見邦司の頌徳碑に嵌入(かんにゅう)された「鷲見邦司の肖像レリーフ」(縦61cm、横48・5cm)です。肖像レリーフの左下に碩朗の「碩」の銘があります。
作品の第二は、「小林篤一(とくいち)の小胸像」(縦37cm、横29cm)です。1939(昭和14)年8月に碩朗が制作し、現在、峰延農協の事務室に展示されています。右の側面下部に「碩朗作」の銘があり、背面には「贈小林篤一君像 昭和十四年八月 保証責任北海道信用購買販売組合聯合会(れんごうかい)」が刻印されています。この作品は、札幌ホクレン株式会社が永年勤続者の記念品として、14名の小胸像の制作を依嘱したものの一つです。
作品の第三は、「櫻井良三翁の胸像」(縦76cm、横70cm)です。1941(昭和16)年10月、美唄第一水利組合や美唄晩草水路組合によって旧櫻井邸に碑文を添えて建立されました。胸像は等身の1・3倍もあり、胸像の背面には「碩朗作享」の銘があります。

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