文字サイズ
自治体の皆さまへ

このまち大好き!芽室の歴史探訪

30/50

北海道芽室町

■その97「雄馬別小学校」(芽室町雄馬別十三線二十五番地)
芽室歴史探訪会 土岐一雄
山麓の丘陵地帯に位置する雄馬別地区の開拓の歴史は、明治三十年代末に始まる。
その後、開拓が進むにつれて子どもたちが学齢に達し、大正五(一九一六)年、上美生尋常小学校上伏古特別教授場が上伏古別(通称・雄馬別)十三線百五十七番地(旧体育館の北側)に開設された。学校用地と実習地は、弦巻亀四郎氏の寄贈によるものであった。
昭和三(一九二八)年九月、校舎を新築し移転。同四(一九二九)年九月、雄馬別尋常小学校として独立した。やがて、雄馬別国民学校の時代を経て、同二十二(一九四七)年の学制改革により雄馬別小学校となる。
同二十四(一九四九)年、校舎を増改築する。その後、同五十六(一九八一)年には子ども郵便局優良校で表彰を受けたほか、十勝子ども大会に器楽発表で参加するなど、教育活動の実績を積んでいった。
しかし、時代と共に児童数の減少が加速する中で、同五十四(一九七九)年に教育委員会の「児童数二十一人以下で学級編成に苦慮する学校については統合を考える」という方針を受け、翌年の雄馬別地区代表者と教育委員会の懇談会の開催を皮切りに、統合に関わる地区懇談会を積み重ねた。そして、同五十六(一九八一)年四月、地区全戸が対等統合を条件に統合に同意した。
これを受けて、統合の準備を進めた結果、校名を「上美生小学校」として新校舎を建設し、校章と校歌も一新することになった。
そして、同五十八(一九八三)年三月、六十七年の校史に幕を閉じ、新設される上美生小学校との統合が図られた。
なお、校舎は令和四(二〇二二)年七月に解体され、体育館は地域が使用している。

■引用・参考文献
「開校五十周年記念誌やまなみ」雄馬別小学校開校五十周年記念事業協賛会昭和五十四年八月三十日発行
「上美生郷土史」上美生地区開拓百年記念事業協賛会平成十四年十月三十一日発行
「芽室町百年史」芽室町役場平成十二年発行

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU