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【市民のひろば】地域密着、身近な話題を体験取材!まちかど特派員だより

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埼玉県上尾市

■密蔵院の仏像と御開帳

◇上平地区 帖佐 育代(ちょうさ いくよ)さん
密蔵院(みつぞういん)は中平塚にあり、江戸時代に盛伝法印が開山したといわれています。そして、能満山(のうまんざん)密蔵院求聞寺(ぐもんじ)と号する新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)の寺院で、桶川市倉田にある明星院の末寺(まつじ)です。
山門(さんもん)をくぐって正面に本堂があり、御本尊は虚空蔵菩薩坐像(こくうぞうぼさつざぞう)です。また、左手には薬師堂があり、ここの御本尊は薬師如来です。
薬師如来の両側に脇侍(わきじ)があり、向かって右側が日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)(日光像)、左側が月光菩薩立像(がっこうぼさつりゅうぞう)(月光像)です。薬師三尊と呼ばれ、日光菩薩からは太陽の光が、月光菩薩からは月の光が人々を照らし、どんなときも民衆の健康を見守るという意味が込められています。そしてさらにその両側には、十二神将立像(しんしょうりゅうぞう)が安置されています。これは、奥州磐城平藩(いわきたいらはん)七万石の藩主内藤家の侍仏でした。延享4(1747)年、六代藩主内藤政樹が、日向国(ひゅうがのくに)延岡へ国替になった際、江戸屋敷の宝蔵に移し納め置いたところ、度々の不思議を示して武州中平塚の地に送るべしとのお告げがあり、密蔵院薬師堂に迎え安置したとされています。この時期の再興修理には、地元中平塚の安藤家が深く関わったとされています。
日光像はカヤ材を用いた一木造の技法によっているのに対し、月光像はヒノキ材を用いて寄木造(よせぎづくり)の技法を示しています。また、日光像はその古朴で簡潔な作風から、十一世紀ごろの地方仏師(ぶっし)の作、月光像は十二世紀代の定朝様(じょうちょうよう)彫刻に習熟した仏師の作とされ、女性的で柔らかな肉付きを持っています。
理由は分かりませんが、密蔵院には古い時代から住職がおらず、現在は明星院の住職が兼務されています。
この寺のお守りはお寺の檀家の人たちが担当(本堂・薬師堂・平塚氷川神社)ごとに管理しています。本堂御開帳(※)の時、観音菩薩は角塔婆2本、本尊と塔婆を糸とさらしで結びます。薬師堂の薬師の角塔婆は、一番太い物の梵字と経文を住職がその年に書き換えます。
ご住職に、薬師如来に一般参拝した時の願い事は何でもいいのですかと尋ねると「薬師如来に健康な時に祈願しても大丈夫です」とのお言葉をいただきました。境内には駐車場もあります。ぜひ、お気軽に足を運んでください。
※密蔵院の御開帳は観音菩薩は令和8年(午年)の3月12日〜4月12日です。薬師は令和9年(12年に2回寅年と末年)の3月12日〜4月12日です。参考文献『上尾市指定有形文化材日光・月光菩薩立像修復事業報告書』

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