6月21日(水)西中学校で子どもたちの健全な精神の育成に寄与することを目的として、「全力で生きる技術」をテーマに新日本プロレス所属の棚橋弘至選手による講演会が行われました。
講演会では棚橋選手が実体験を交えながら、壁にぶつかった時の考え方などについて熱く語ってくれました。そして、中学生からの質問に対し、熱く答えてくれました。
■学生時代
高校までずっと野球をやっていました。プロ野球選手をあきらめた高3の8月から大学受験に向け、睡眠時間1日3時間、学校の休み時間も席を立たずに勉強し、偏差値を15くらい上げて立命館大学に入学しました。この勉強方法はあまりお勧めできませんね(笑)。とにかく、やろうと決めたことはすべて全力でやっていました。
■プロレス入門
受験勉強の息抜きにプロレスを見て、こんな強くてかっこいい人になりたいと思い、入門を考えるようになりました。
大学合格後、プロの入門テストは何度か受け、3年生で合格。中退してプロレスに入ろうと思っていると、当時の現場監督である長州力さんに、「この仕事は怪我をするかもしれない。将来の為に卒業してからこい。」と言われ、卒業してから入門しました。
■チャンピオン
入団後、しばらく経つとプロレスの人気がガクッと落ちます。そんな冬の時代に僕はチャンピオンになりました。しかも、歴史と伝統のある団体で、それを楽しみにしているファンが多かったため、僕のようにチャラチャラしているチャンピオンは支持されませんでした。本当に辛かったし、苦しかったし、悔しい思いもしました。
■プロレス人気回復のために
まず、みんなにプロレスを知ってもらう事が大切。だから、練習と試合以外はテレビやラジオに出演し、プロモーションをしました。ピーク時は、1年で360日くらい働いていました。
チャンピオンだから試合もしないといけないし、大会のプロモーションもしないといけない。ひたすら頑張って頑張って、ベルトも防衛して…それを続けました。
プロレスの人気回復の為、自分を信じて全力で取り組みました。
そしてその姿がだんだん受け入れられ、ブーイングが歓声に変わり、プロレス人気も徐々に回復していきました。
そのような中、新型コロナウイルスの影響でお客さんを入れての試合ができなくなってしまいました。しかし、今まで色々なつらい経験をして突破してきた僕だから、落ちこむこともなく、また全力で頑張ってプロレスをもっと盛り上げていこうと思っています。
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