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特集 今、伝えたい私の戦争体験

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埼玉県越谷市

市では、「越谷市平和都市宣言」(平成20年11月3日宣言)の趣旨を踏まえ、平和に対する思いを深めるとともに、「戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさ、平和の尊さ」を後世に伝える事業を実施しています。
今号では、市内在住で「平和の語り部登録ボランティア」として活動している重園烱(しげそのあきら)さんの著書「望郷紀行」および体験談から、終戦当時の暮らしと引き揚げまでの日々について紹介します。

■昭和20年、小学4年生の夏
私は満州生まれの満州育ちで、家族は、父、母、2歳上の姉、妹3人(3歳、6歳、8歳下)、私の7人です。当時、満州の奉天(ほうてん)に住んでいた私は、小学4年生まで奉天弥生在満(ほうてんやよいざいまん)国民学校へ通学し、父を除く(兵役のため)家族6人で、終戦の半年くらい前から得利寺(とくりじ)に疎開しました。得利寺は日露戦争では激戦地でしたが、疎開当時、日本人は駅長一人だけという田舎でした。
ある日、川に架かっている大きな橋の上を大きな戦車が何台も通るのが見え、私たちは「兵隊さんだ!」と叫んでそばに行きましたが、日本の兵隊とは違うようだと子ども同士で話していました。後で分かったことですが、参戦したソ連が旅順(りょじゅん)へと進軍する途中でした。この日から私の終戦の思いは始まるわけです。
翌日、8月15日、全員12時に得利寺の駅に集合の触れが出ました。そこでラジオを聞かされ、日本が戦争に負けたことが分かりました。駅長から、すぐに家に帰って1時間後に手荷物を持って集合と告げられました。すでに現地の人たちの態度に変化が現れていました。

■昭和20年8月15日、逃避行の始まり
日本人がいる街、瓦房店(がぼうてん)まで徒歩で避難するとのことで、私たち家族6人の行進も始まりました。女子供が主体の団体なので赤ん坊の泣き声だけでも大変でした。赤ん坊の泣き声がすると、「泣き声で満人(満州国に在住する人)に見つかるから始末しろ」と言われていました。私が忘れられないのは、このとき、母親の手で死んでいった子どもたちのことです。
私は、一番下の妹(当時2歳)の手を引っ張りながら歩きました。3日後、瓦房店に着き、銭湯に収容されました。

■兵隊へ差し入れた青リンゴ
私たち家族は、幸いにも自宅のある奉天に帰る列車に乗ることができました。駅には貨車がたくさん停まっており、隙間から日本の兵隊さんがいっぱい乗っているのが見えました。私たちはこの季節にここで採れる青リンゴをたくさん持っていたので、この青リンゴを窓枠から差し入れてあげました。後に聞いたのですが、この兵隊さんたちはシベリアに送られる途中でした。
また、私の母の妹、そして私のいとこ2人は、この奉天を目指して逃げてくる途中の難民収容所で全員亡くなりました。

■終戦後から引き揚げまでの奉天での暮らし
母、姉、妹3人と私は、無事に疎開先の得利寺から奉天へ帰ることができ、昭和21年秋の引き揚げまでの約1年間は自宅で過ごしました。奉天に戻ってからは、何か売らないと生きていけなかったため、私と2歳上の姉は、かごにたばこを入れ、売り歩いていました。

■貨物船の船底での日々
昭和21年秋、私たち家族は日本(長崎県佐世保市)に帰ってきました。自宅のあった奉天から引き揚げの乗船地である葫蘆島(ころとう)まで無蓋貨車(むがいかしゃ)で三日間かかりました。LST(戦車揚陸艦)と称するアメリカの貨物船に乗ったあとは、船底で1日35個の配給の乾パンをかじりながら過ごしました。

■昭和22年、父との再会
父は、シベリアで抑留されていましたが、昭和22年2月に帰国し、再会を果たしました。
私たちは戦後、家族7人、誰一人も欠けることなく引き揚げて帰ることができました。これは、当時の事情からすれば奇跡とも言えることです。
今振り返ってみると、あの満州での経験は本当にあったことなのかと思えてなりません。今までの人生で苦しいことがあればいつも終戦後のことを思い出し、頑張ってきました。私の人生はあの終戦の経験が育ててくれたのです。
戦争を知らない世代に今、伝えたいことは、戦争は一般人が犠牲になるので、とにかく戦争は絶対にやってはいけないということです。

■越谷市の平和への取り組み
・越谷市平和都市宣言の制定(平成20年11月3日)
・平和首長会議への参加

▽毎年の取り組み
・市内中学生による広島平和記念式典への参加
・平和展、平和講演会の開催(10月中旬)等

■平和の語り部登録ボランティア募集
市では、戦争を体験した方や海外における平和活動を体験した方で、小中学校や地区センター等で平和の大切さをお話ししてくださる方や体験談を文書等でお寄せいただける方を募集しています。
申込み:随時受け付けています。電子申請、電話、ファクスまたはメールで下記へ

問合せ:総務課
【電話】963-9140【FAX】963-7625【E-mail】somu@city.koshigaya.lg.jp

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