■福澤山脈
福澤記念館に「福澤山脈」のコーナーがあります。先生が慶應義塾を拠点に育てた門下生たち、実業界、教育界、政官界など様々な分野で活躍した人々で、その連なりはまさに「山脈」と呼ばれるにふさわしい。全国から集まっていますが、中津ゆかりの人もたくさんいます。
まずは「小幡篤次郎」、「学問のすゝめ」初版の共著者。中津市学校の初代校長、慶應義塾の塾長も務める。生家は現在の新中津市学校の建つ地、多くの蔵書、屋敷・土地を中津に寄付。市立図書館は「小幡記念図書館」とその名を残す。「小幡英之助」、篤次郎のいとこで日本の歯科医師免許第1号を取得する。
「朝吹英二」、耶馬溪町に生まれ、鐘淵紡績を立て直した後、三井財閥の重責を担い「三井の四天王」とよばれる。子孫に文学者が多く、芥川賞作家の朝吹真理子さんは玄孫(やしゃご)。「中上川彦次郎」、イギリスに留学、山陽鉄道の社長に就任、その後、三井銀行を立て直し、「三井中興の祖」と評される。「和田豊治」、多くの企業の役員を兼任し、富士紡中津工場を設立するなど中津の経済振興にも貢献、市内に記念公園がある。中津出身者、目白押しです。
ところで、先生は門下生にどのように接したのか。語らいはどうだったのか、大好きな酒を飲み交わしたのかなど興味がわきます。熊本県小国町出身の細菌学者「北里柴三郎」、自分の施設から届けた牛乳瓶が不潔であったことを謝罪のため出向いた際、3時間にわたり叱責を受けたそうです。二人の関係の深さがしのばれますね。
福澤山脈の山々は、あまりにも高く大きく、鍛錬不足の我が身では、とても登れそうにありません。ドローンで上空を飛んだ気分で山脈の全容を眺めると、先生はもちろん、特に中津ゆかりの偉人達の活躍ぶりをもっと知りたい気持ちになります。なにせすごい山脈ですから。
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