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ふるさとの文化財探訪 第110回

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大分県九重町

『下旦祇園祭のこれまでとこれから』

音成 葉子

八鹿酒造のすぐそばに八雲神社がある。この地域で行われてきた下旦祇園祭について、町指定文化財登録の際に次のように記されている。
下旦八雲神社は文久2(1862)年、疫病退散・村勢新興を願って豊前国今井の里(現福岡県行橋市元永)にある「須佐神社」より御分霊を勧請(かんじょう)したのが始まりである。
八雲神社は、祭神素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀る祇園社で、現在の社殿は2004年5月に落成したものである。旧社殿は、慶応4年(1864)戊辰8月7日に建立されたもので(同社棟木)、その後昭和6年7月に改築された。
祇園祭では、山鉾の巡幸が行われる。山鉾の高さは、大正中期頃までは六間余りあったが、電線の架設により三間余りの高さになる。
(中略)山鉾巡幸で奏される祇園囃子は、大太鼓、小太鼓、鉦(かね)、横笛(明笛(みんてき)、竹枝笛)が使われ、シャギリ・上り山・下り山・巡幸・回し山・止り山などによって曲目が決まっている。曲目には「越中立山」、「十日戒(とおかえびす)」、「どっこいせ」、「坊さん忍ぶ」、「そよそよ風」、「鯉の滝上り」などが知られている。
江戸時代より始まった下旦祇園祭であったが、昭和36年、山鉾の消失により一時期中断した。しかし幼い頃に見た祇園祭を復活させたいという当時の有志らの尽力により昭和48(1973)年、復元新造される。毎夜、祇園準備が行われた当時のフィルム映像があるが、山鉾の装飾や囃子稽古をする下旦青年団の快活さと心意気が伝わってくる。巡幸時、町民の活き活きとした表情も印象的であった。今年はその復活から50年の節目。当時は地区の青年団が進めた準備も、近年は老人会が花作りを担い、別の作業では地区外からの手伝いもある。囃子はこれまで高校生までの男の子が担当していたが今年から女の子も加わるという。こうして下旦祇園祭は現在も続いている。そこには時代に合わせて継いできた青年団を始めとする地域の人々の思いや知恵、エネルギーなどが必要不可欠であった。下旦祇園祭の巡幸日は毎年第3日曜日の前日。今年は第20回玖珠祇園大祭への特別参加も予定しているという下旦の山鉾。私は引き続き「今」の下旦祇園祭を追ってみたい。

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