今回は庄内町にある市指定重要文化財の「東大津留の宝塔二基」の紹介です。
国道210号線沿いにある由布市役所本庁舎前から、県道52号別府庄内線を北上していくと、安福山随善寺の石柱が見えます。それを目印に西側へ向かって、しばらく進むと随善寺にたどり着きます。ここから真南に見える小高い丘をめざして畦道(あぜみち)を進むと、その斜面に数基の墓碑があり、この中の2基が今回紹介する宝塔です。
宝塔の1基は基礎・塔身・笠部・請花・宝珠からなり、総高は162.5cmになります。宝珠・請花は比較的大きく、どっしりとした作りになっていますが、笠部の上部にある露盤に格狭間は表現されていません。笠部の隅の棟はわずかに湾曲しながらやや角度をつけており、重厚さを感じさせるものとなっています。
通常の宝塔の塔身では、樽のように中位を膨らませた円柱状とするものや、これに首部を設けた首付茶壷型の塔身をもつものが一般的ですが、この宝塔では直方体の塔身とした一重塔に類するものとなっています。
基礎には次のような名分が刻まれています。
「天正拾九辛卯年」
「前内州太守」
「永春寺殿」
「良英紹恭大居士」
「閏正月十六日 領謹建焉」
このことから、この宝塔は天正19(1591)年、永春寺殿を祀るために建立されたことが分かります。この永春寺殿は、松ヶ尾城主大津留民部少輔河内守鎮益と考えられています。
もう一基は宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、総高は101cmになりますが、相輪部分に一風変わった特徴がみられます。
通常は伏鉢の上に九輪(相輪)を備え、さらにその上に請花・宝珠が配されますが、この宝塔を見てみると、伏鉢・請花を意識したとみられる円筒状の二段の基礎を設け、その上に一輪のみ据え、さらにその上に宝珠を設けています。宝珠には中位に一条の沈線を巡らせていますが、このような形態はとても珍しいとされています。
また、基礎には「文禄五年天甫妙祐大姉八月十一日」と刻まれています。この宝塔は大津留鎮益の墓碑と並んで建立されていることから、鎮益の妻の墓であると伝えられていますが、詳細は不明です。
問合せ:社会教育課
【電話】097–582–1203
<この記事についてアンケートにご協力ください。>