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コラム「柏原の歴史」

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大阪府柏原市

「玉手山安福寺(あんぷくじ)と徳川家」

皆さんは、徳川家の殿さまのお墓が柏原市内にあるのはご存知でしょうか。玉手山安福寺に所在する、尾張藩二代藩主 徳川光友(みつとも)(一六二五~一七〇〇)の霊廟(れいびょう)のことです。江戸時代の大名は、国元・江戸・高野山などに複数のお墓を有していることが多く、この霊廟もその一つです。
光友は、徳川家康の孫の一人で、時の将軍 徳川家光に男子が誕生しなかった場合の将軍候補でもあり、家光の娘千代姫を正妻として迎えました。一方、安福寺の霊廟には、光友と側室 勘解由小路(かげゆこうじ)(松寿院)、その子 松平義昌(よしまさ)、そして奥女中たちのお墓が並んでいます。義昌は、千代姫との子に憚(はばか)って三男とされていますが、本当は初めての男子で、思い入れも深かったようです。光友は、最も心を許すことができた勘解由小路、義昌らとともに、玉手の地に、死後の安息の地を得ているのかもしれません。
安福寺を中興した珂憶(かおく)和尚(一六三五~一七〇八)は光友の仏教の師であり、請われて、生涯で五〇回以上も名古屋や江戸の屋敷に出向きました。光友は、心から慕う珂憶和尚にプライベートな悩みを吐露することも多く、そうしたなかから、霊廟の建立が実現したとみられます。安福寺には、光友が贈った寺領の寄進状や、数かずの宝物のほか、その意を受けた奥女中たちが珂憶和尚に宛てて出した書状が現存しており、体調を気遣い、再訪を心待ちにしていることを強調するその文面から、両者の深い交流の一端を知ることができます。

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