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市史編纂(さん)だより わがまち歴史散歩 Vol.162

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大阪府池田市

■旧石器時代
「道具」から復元される人びとの生活

◇人びとを取り巻く厳しい自然環境
日本列島で人びとの生活が始まったのは、今から4万年前にまでさかのぼるといわれています。それから、約2万5千年間、土器の使用が始まる縄文時代までの間を後期旧石器時代としています。
この時代は、寒冷な乾燥した気候で、平均気温は現在よりも7、8度低かったといわれています。北海道を除くと、草原とスギやマツなどの針葉樹林、コナラやハンノキなどといった広葉樹が含まれた針広混交林が広がり、今は絶滅したナウマンゾウやオオツノシカといった大型草食獣などが生息していました。

◇残された人びとの痕跡
現在、後期旧石器時代の遺跡数は、全国で約1万、大阪府内では400余りで、後の時代と比べて最も少なくなっています。池田市内では、中国道池田IC付近に広がる宮の前遺跡や五月山南麓の伊居太神社参道遺跡など、5カ所の遺跡が知られています。これらの遺跡は、北摂山地の南麓に点在する遺跡群に含まれています。
時代が長いにもかかわらず遺跡数が少ないことは、人びとの生活の痕跡が残りにくいことに加え、後述するように移動生活をしていたことにもよります。さらに、当時の日本列島の人口が2万人程度であったと推定されていることもその要因の一つです。

◇想像を超える人びとの移動
後期旧石器時代では、獣骨や木を素材にした道具の使用も考えられていますが、見つかるのはほぼ石器に限られます。その中で主体を占めるのがナイフ形石器で、槍やりの先に付けたり、切ったり削ったりと、狩猟に関するさまざまな場面で使用できる石器です。
道具の良し悪しは、素材と製作技術によって決まります。鋭利な石器を得るためには、それに適した石材が必要です。近畿地方では、大阪府と奈良県の境にある二上山周辺だけで手に入るサヌカイト(安山岩の一種)が主として使われています。二上山周辺では、石器を製作した遺跡も見つかっており、製品、あるいは素材が移動していたことが分かっています。さらに注目すべきことは、共通の技術で石器が製作されていることです。すでにこの時代に、素材や製品はもとより、技術や知識が私たちの想像を超える範囲で人びとに共有されていました。

◇道具と人びとの生活
ところで、私たちの生活にとって重要な役割を担っているのが道具です。どのような道具が、どのように使われていたかが分かれば、人びとの生活を復元する手がかりになります。
この時代は、木の実なども食料にしていたと思いますが、植物を加工、調理する道具が見つかっていません。これは、食べることができる植物が限られていたこととも関連しています。このことから、当時の生活が狩猟を主体としたことが分かります。
また、狩猟の道具が槍に限られていることから、見つけやすく、動きが緩慢な大型草食獣が獲物として最適であったことになります。大型草食獣は多くの食べ物を必要とするため、季節に応じて広大なエリアを移動しながら生息しています。とすると、人びとはこれら大型草食獣を追う移動生活を送っていたということが導き出されます。当時の人びとが持った道具から、特定の獲物に絞った、効率の高い極めて合理的な行動が復元できるのです。市内の遺跡は、その移動途中に人びとが残した生活の痕跡であったのでしょう。

(市史編纂委員会委員・田中晋作)

問合せ:社会教育課
【電話】754・6674

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