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〈多賀城の歴史と文化〉歴史の風

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宮城県多賀城市

■連載147 文字が語る古代多賀城–その1 古代の籍帳–
7世紀になると、天皇や貴族を中心とした律令に基づく支配体制が始まり、国や郡といった行政組織が整備されました。この律令体制下では、人も土地も天皇のものとされ、それらを管理するための帳簿を作成することは、各国府の役人の重要な仕事でした。
陸奥国府が置かれた多賀城でも、多くの役人が筆を手に働いていました。多賀城跡やその南面の山王遺跡、市川橋遺跡の発掘調査では、日々の仕事で役人が記したさまざまな史料が見つかります。人民や土地を把握し、記録する戸籍・計帳(けいちょう)もその一つです。
戸籍とは、公的な田(口分田(くぶんでん))を割り当てるために作られた人民の基本台帳で、6年に一度更新されました。
一方、計帳は、庸(よう)(注1)・調(ちょう)(注2)・雑徭(ぞうよう)(注3)をとるため毎年作成される台帳で、この二つを合わせて「籍帳(せきちょう)」と呼びます。
多賀城市内の発掘調査では、これら籍帳の一部や籍帳を作成する前段階での文書などが見つかっています(注4)。それらを読み解くと、当時の人の名前や家族構成のほか、律令国家の税制といった国の仕組みなどさまざまなことを知ることができます。

(注1)労役の代わりとして納める布
(注2)諸国の産物
(注3)一年間で定められた日数を課せられる労役
(注4)発掘調査で見つかるものは、漆の作用で土中でも腐らずに残った「漆紙文書」です。役所が漆工房に払い下げた反故(ほご)紙を漆容器のフタ紙として使用し、漆がしみ込んだことで偶然紙が保存されました。

*10月号から12月号の歴史の風は、埋蔵文化財調査センターで開催する企画展「文字が語る古代多賀城」に関連した内容をお伝えします。

問合せ:埋蔵文化財調査センター
【電話】368-0134

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