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〈多賀城の歴史と文化〉歴史の風

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宮城県多賀城市

■連載145 新たに発見された道路網と街区(ほ場整備の調査成果(2))
ほ場整備事業に伴う発掘調査の最も重要な発見は、多賀城南面に広がる道路網(どうろもう)です。特に、古代のまち並みの南側の様子について、新たな発見がありました。
写真(本紙19面参照)は、本市西部の山王地区、山王小学校から見ると約500メートル東側の上空から、北東方向の多賀城跡を望んで撮影したものです。この場所は、多賀城南門から南西へ直線距離で約1400メートル、古代の道路をたどった道のりは約2300メートルで、南門から徒歩30分以上を要する位置です。ここが、今回の調査で明らかになった古代のまち並みの南限付近になります。
これまでは、東西大路(とうざいおおじ)よりも南側には、2本の東西道路が確認されていました。今回の調査では、新たに3本目の東西道路を発見しました。この「南3道路」は、東西大路とほぼ平行し、路面の幅はおよそ2〜3メートルで、南北両側に排水用の側溝(そっこう)が付いています。南3道路の発見により、東西大路よりも南側に3ブロック分まで、四方を道路で囲まれた「街区(がいく)」が広がっていたことが明らかになりました。
また、南3道路よりも南側の様子も確認することができました。街区内は、建物や井戸が多くつくられた空間でした。建物や井戸枠の方向は、ほぼ道路と同じ向きに統一されており、規則的に配置されていたと見られます。一方、街区外には建物や井戸はあまり見られず、畑作に関連すると考えられる小溝群が広がっていました。まちの中は居住域(きょじゅういき)、まちの外は生産域(せいさんいき)として使い分けられていたことがわかりました。

問合せ:埋蔵文化財調査センター
【電話】368-0134

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