西暦724年に造られた多賀城は、令和6(2024)年に創建1300年を迎えました。
700年代のはじめ頃、宮城県北部から北の地域は、中央政府の支配が直接及ばない場所であり、そこに住む人々は蝦夷(エミシ)と呼ばれていました。
蝦夷を従え支配領域を拡大するため、中央政府は東北各地に城柵を設置し、多賀城はその中心としての役割を担っていました。
城柵は蝦夷支配の拠点であり、施設全体を築地塀(ついじべい)や材木塀(ざいもくべい)などによって囲み、行政と軍事の機能を持っていました。
※画像は紙面又はHPでご覧ください。(画像提供:東北歴史博物館)
*多賀城創建1300年に向け「歴史の風」を拡大し、「歴史の風創建1300年Special」をお届けします。(令和6年1月号から令和7年1月号までを予定)
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