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≪特集3≫郷土の偉人 ビタミンの父 高木兼寛(たかき かねひろ)

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宮崎県宮崎市

170年の時を超えた今も心に響く 生直(きすぐ)な生き方を振り返ろう

「病気を診ずして病人を診よ」という言葉や、脚気の治療法を研究し“ビタミンの父”とも称される郷土の偉人・高木兼寛。2019年に生誕170年を迎え、功績は今も顕彰され続けています。その生き方は令和時代の今でも脈々と受け継がれています。今回、改めて功績を振り返ります。

◆多彩な才能を持つマルチな人間性
医師としての功績が有名ですが、ほかにもさまざまな分野で活躍しました。
・医学者…ビタミン発見の元祖
・軍人…海軍軍医総監
・経済人…帝国生命保険会社創設への参画
・経営者…病院や医学校の経営
・教育者…成医会講習所創設
・政治家…貴族院議員など
など

◆現代に生きる高木兼寛の武士道の精神
・自律心…自分の行動を律し、自分の行動に責任を持つ
・正直…自分自身に偽りなく行動し、素直な心を持つ
・淡泊…自分のためでなく、常に社会に役立つ行動をする
・慈悲心…弱い人びとの立場に立って、常に考え行動することを惜しまない

◆高木兼寛の歩み・功績
▽なぜ、医学の道へ?
薩摩藩の藩士の家柄で、父・喜助は大工の棟梁と農業で生計を立てていました。大工仕事を手伝っていた兼寛が憧れたのは、病気やケガで困っている村人を分け隔てなく救う黒木了輔医師。黒木医師のようになりたいと医学の道を志します。

▽“病気を診ずして病人を診よ”が生まれた英国留学
医師が患者に寄り添い、家族の問題や社会的側面にも目を向ける全人的な留学先の医療に感動。帰国後、日本の「庶民は相手にしない」医療に落胆。「医者の前にあるのは『病気』ではなく『病気になった人間』がいるのだ」と憤りました。

▽国内初の私立施療病院・看護学校を設立
日本の医療を刷新すべく、有志と成医会講習所(東京慈恵会医科大学の前身)を設立。貧しい人々のための病院である有志共立東京病院(東京慈恵会医科大学付属病院の前身)、日本初の看護学校「東京病院看護婦教育所」も設立し、日本の医療発展に貢献しました。

▽“ビタミンの父”“海軍カレーのルーツ”多くの命を救った脚気の研究
当時、国民病とも呼ばれていた脚気が栄養の偏りで起こることを突き止め、白米に麦を加え、タンパク質を多く摂るよう改善しました。のちに、タンパク質に含まれている栄養素が「ビタミン」であることが発見され、「ビタミンの先駆者」「ビタミンの父」と呼ばれるようになりました。また、留学経験をいかし、肉や野菜の入ったカレー風味のシチューに、小麦粉を入れてとろみをつけご飯に合うようにアレンジ。麦飯にかけると栄養バランスがよく、おいしいことが海軍に広まったことから、海軍カレーのルーツともいわれています。

◆略年譜
※年齢は数え年

1849(嘉永2)年
9月15日、薩摩藩日向国諸県郡穆佐郷小山田村(現・宮崎市高岡町穆佐)に、薩摩藩郷士・高木喜助の長男として生まれる。幼名・藤四郎

1866(慶応2)年 18歳
鹿児島で石神良策に医学を学ぶ

1875(明治8)年 27歳
ロンドンのセント・トーマス病院医学校に入学

1880(明治13)年 32歳
同校を首席で卒業後帰国し、海軍中医監、東京海軍病院長に就任

1881(明治14)年 33歳
成医会講習所設立

1882(明治15)年 34歳
海軍軍医大監に任ぜられる。海軍将兵の食事の実態調査始まる。有志共立東京病院を設立

1884(明治17)年 36歳
練習船「筑波」での航海実験により、脚気の原因が栄養欠陥であることを実証

1887(明治20)年 39歳
帝国生命保険会社(現・朝日生命保険)の創設に参画

1899(明治32)年 51歳
宮崎神宮大造営計画を幹事長として推進

1920(大正9)年 72歳
4月13日、脳溢血のため逝去

◆市内の中学生が高木兼寛ゆかりの地を視察
市内の中学生8人が令和5年度「高木兼寛顕彰事業」の特別大使となり、8月1日・2日に東京慈恵会医科大学など高木兼寛ゆかりの地を視察してきました。
・東京慈恵会医科大学で学長・教授と対談
・看護婦教育所創設の地を視察
・成医会講習所跡を視察

私は、高岡で高木兼寛先生が育ったことに誇りを持ち、今回の特別大使派遣で学んだことを忘れず、決して諦めない強い気持ちを持って、医療従事者になるという夢を叶えるために頑張っていきます。
-高岡中学校2年 ながやま れいさん

◆今も続く高木兼寛の顕彰活動
▽学校教育
ふるさと教育合同穆園学習事業

▽生涯学習
特別大使派遣事業
高木兼寛賞(作文募集)

▽高木兼寛顕彰会
定期総会
調査研究
普及活動
顕彰会だより発行

▽Bokuen Exchange Association Takaoka
国際交流
異文化交流

高木兼寛先生の生涯は信念を貫いた一生であったと捉えています。物事を推進する基本はエビデンスを大切にすることだと思われます。先人からは挑戦的発想や智恵をいかした生き方を学ぶことができます。
-高木兼寛顕彰会 会長 なかやま よしのりさん

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問い合わせ先:高岡総合支所 地域市民福祉課
【電話】82-1111【FAX】82-3779

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