◆水と人が育んだ恵みの森
湧水の湧く海岸近くにある「杉沢の沢スギ」が、昭和48年8月4日、町で初めて国の天然記念物に指定されて、ことしで50周年を迎えました。
この場所は、黒部川扇状地の恵まれた水環境のおかげで生まれ、人の手によって守られてきた、町の大切な宝物。
今回は、この杉沢の沢スギの「これまで」と「これから」について特集します。
◇「杉沢」と「沢スギ」
黒部川の水の流れでできた黒部川扇状地の扇端、海岸近くの湧水が出る地域に、スギを中心とした林「杉沢」と、そこに育つ「沢スギ」はあります。
沢スギは、根元から芽を出す「萌芽性」と、枝から根を出す「伏条性」が強いほか、川跡で小石の多い杉沢で育つため根が地中深くに入り込めず、成長に時間がかかる一方、堅く育つことが特徴でした。
◇暮らしを支えた沢スギ
沢スギは、人の生活に役立つもので、堅い幹は家の材木に、小枝や葉は炊事や風呂の燃料などに使われていました。
当時の人々は、スギを効率良く得るため、さまざまな工夫をしていました。浅く水がたまる湿地である「沢さわ」では、本来スギは育ちにくい中、杉沢では手作業で溝を掘って水の流れを作り、流水に触れさせることで酸素を送り、沢スギの成長を助けていました。
また、根の浅い沢スギが雪や風で倒れないよう枝を落としたり、根元近くから何本にも分かれた幹の太い親木だけを取って、子木や孫木の成長を助けたりしていました。
◇急速に失われた沢スギ
昭和29年ごろは約130ヘクタールあった杉沢でしたが、人々の生活の変化に伴い、次々と失われていきます。沢スギ林は稲作の効率化を図る圃場整備で急速に伐採が進み、水田に姿を変えました。プロパンガス普及で炊事や風呂へのスギの枝葉の利用は減少、安い海外産木材の輸入増による材木利用減少も重なり、沢スギ林放棄は加速。昭和44年頃には約45ヘクタールにまで減りました。
◇沢スギが天然記念物に
沢スギが絶滅寸前の昭和46年、その希少性を知る有志らが保存を呼びかけ始めます。
沢スギの根元から出た枝が新たな根を張る「伏条更新」が、低標高の平野で見られるのは日本では杉沢だけ。林内の湧水が1年中水温が安定していることで、本来見られない暖地性の植物と山地性の植物が共存する植生も、学術的価値の高いものでした。
有志の熱意と地元住民の理解が実を結び、2.67ヘクタールの杉沢は「杉沢の沢スギ」としての保存が決定。そして、昭和48年には文化庁指定の国の天然記念物に指定されました。
◆人と紡いだ半世紀
「杉沢の沢スギ」が天然記念物の指定を受けられたのは、先人たちの熱意と努力のたまもの。
その後も、地元住民や文化財愛護少年団など、多くの人々の献身的な活動で守られてきました。
ここでは、その50年の歴史を振り返ります。
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