◆〜氷見の漁師の船上生活〜
毎年5月末から7月中旬ごろまで、氷見沖には俗にオオタロウと呼ばれる大型のクロマグロが来遊し、定置網で水揚げされます。
大正後期以降に考案された落(おと)し網構造が導入される前の定置網は、魚をとる身網(みあみ)の網口が大きく開いていました。そのため、魚群が身網に入ったところを見計らって網口を閉じる必要がありました。漁期には昼夜を問わず網取り作業を繰り返さなければならず、漁師たちは長期間船上で寝泊まりして魚群が身網に入るのを待ったのです。
そのときの寝所として使われたのがノマです。竹と木でできた骨組みに、ムシロ(わらなどを編んで作った敷物)やコモ(粗く編んだムシロ)、ゴザの覆いをかけたもので、これで雨風をしのぎました。一つのノマに1人、若い漁師だと一つに2人が入ったそうです。また、寒い海の上で暖を取るため、ノマの中には小さな布団や火鉢を持ち込むのが一般的でした。
昭和20年代ごろの定置網漁の写真には、網を取る漁師の背後にノマが所狭しと並んでいるのが写っています。当時、冬場の鰤(ぶり)網と違って鮪(しび)網には落し網が導入されておらず、ノマは必需品でした。
昭和30年代には鮪網にも落し網構造が導入され、続く昭和40年代には、網取り船としてエンジンを積んだ船が使われるようになりました。船上で寝泊りする必要はなくなり、ノマはその役目を終えました。
(博物館主査 廣瀬 直樹)
問合せ:博物館
【電話】74-8231
<この記事についてアンケートにご協力ください。>