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続・ひみ未来遺産「第17回 地域の足「氷見線」」

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富山県氷見市

◆〜産業振興の立役者〜
JR氷見線は、高岡駅と氷見駅を結ぶ路線で、大正元年(1912年)9月19日に全線開通し、今月でちょうど111年となります。現在では、市民やビジネス・観光客に利用され、旅客輸送が主体ですが、かつては貨物輸送も行われていました。
大正末期から昭和初期にかけて、当時豊漁だったイワシを原料とする水産加工品などの発送が増加したことにより、氷見駅は大盛況でした。昭和4年には、鮮魚仲買商と水産加工業者らが共同出資して、丸魚産業組合が設立されました。同組合は、ミリン干しや干鰯(ひいわし)など魚の加工品のほか、当時氷見町の代表的な産物だったゴザ(畳たたみ表おもて)やムシロ(藁莚(わらむしろ))など藁わら工品の荷扱い(発送・保管など)を行い、貨車便で各地へ出荷していました。
昭和33年度の記録を見てみると、氷見駅発送貨物の1位は藁工品で1万1467トン、2位は魚介類で6613トンと、氷見線が氷見の産業を支えていました。
しかし、昭和40年代ごろから、次第に輸送手段は鉄道からトラックに移り変わり、旧国鉄時代の昭和59年2月、氷見駅での貨物などの取り扱いは廃止されました。時代の流れと共に氷見駅の乗車人数も変化しており、昭和33年度は年間147万8814人だったのが、令和2年度には年間23万4541人と大幅に減少しています。
さて現在、城端線を含めた両線の今後の在り方について、県や沿線4市など関係機関との間で、地域交通の再生のための協議が進められています。
このように時代ごとに変化しながら、今も昔も地元内外から愛されている氷見線。来たる秋の行楽シーズン、先人たちが紡いだ歴史に思いをはせながら乗車してみてはいかがでしょうか。
(博物館学芸員 高松夏央)

問合せ:博物館
【電話】74-8231

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