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【故郷の人物を知ろう】たかおか温故知新(おんこちしん)

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富山県高岡市

■後醍醐天皇の2皇子(おうじ)/恒性(こうしょう)皇子と宗良(むねなが)親王

今回は鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇の2人の皇子を紹介します。
恒性皇子(1305~33)は京都大覚寺で出家し、のち同寺の門跡(もんぜき)(皇族住職(こうぞくじゅうしょく))となり、大覚寺宮(だいかくじのみや)とも恒性法親王(こうしょうほうしんのう)とも称されました。1332年、父である帝(みかど)が討幕に失敗して隠岐島に流されると、連座して現在の二塚に幽閉されます。しかし翌年、帝が再び挙兵すると、越中守護の名越時有(なごえときあり)に殺害されました。二塚の墓所は県内で唯一宮内庁(くないちょう)の認定を受けています。
宗良親王(1311~85?)は尊澄法親王(そんちょうほうしんのう)と称し、天台座主(てんだいざす)(延暦寺住職)となります。1332年討幕に失敗し、現香川県に流されました。のち還俗(げんぞく)し、南朝の中心人物として各地を転戦。1342年、越中に入国し、その後現長野県へ移りました。市内には、現在の牧野(樸館塚(ぼっかんづか)・雪見岡(ゆきみがおか)等)や、福岡町赤丸(親王塚・屋敷跡等)、親王が開いたという極楽寺(ごくらくじ)など由緒地があります。優れた歌人でもあり「新葉(しんよう)和歌集」、「李花集(りかしゅう)」を遺しました。(仁ヶ竹主幹)

問合先:博物館
【電話】20-1572

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