文字サイズ
自治体の皆さまへ

中山町歴史散策 第189話俳諧(2)

13/20

山形県中山町

その頃、長崎には松田未覚、青木定章、隣村の大谷には白田風和などの俳人が居り、俳諧不毛の地では全くありませんでした。未覚については別に詳しく紹介しますが、芭蕉より6歳も年上で、多くの「撰集(せんしゅう)(句集)」にその名が掲載されるなど、名の売れた俳諧人でした。未覚と年の差もそれほど離れない定章(安原貞室門下)も長崎に居住し、連歌の会を主催するなど、門下生も多かったそうです。また、尾花沢の鈴木清風(高瀬梅盛門下)もこの時期句作にいそしんでいました。
これより少し遅れて、長崎の医家新貝亀角(清康)も医業の傍ら俳人としても名が知られ、後に青木家の養子となった異色の人物です。未覚と石田未得の兄弟弟子岡村不卜の孫弟子に当たります。
元禄期の中山の俳人は、未覚、定章、亀角の3人を筆頭としますが、未覚を除けばそれほど作品は残っていません。しかし、町の商家や豪農・富農の間や代官所役人、僧侶の間でも盛んに句会が催されていたのは間違いありません。
例えば、文新田の服部文右衛門家に所蔵されている「安原貞室撰真蹟(寛文5年)」、「北村季吟翁撰真蹟(元禄3年)」、「追膳俳諧」など、いくつかの古い俳諧巻が残されており、未覚の句もいくつか記されています。これらの資料も、方々で書写を重ねて、句作の手本に用いられたことは疑いないでしょう。

※引用
中山町史中巻第10章第3節文芸と美術工芸

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU