文字サイズ
自治体の皆さまへ

中山町歴史散策 第193話俳諧(6)松田未覚のこと その3

9/15

山形県中山町

松田未覚が長崎に滞在するようになった頃、長崎の青木家の祖である定章が、俳諧の師匠安原貞室に学んでいます。未覚の師石田未得と安原貞室とは松永貞徳門下生同士ということで、そのような縁もあって、長崎滞在をはじめた未覚にとって、定章とは何らかのかかわりがあったものと考えられます。
長崎は、既に河岸として発展を遂げており、上方の文物(ぶんぶつ)の移入に絡んで、上方俳諧の流れの流入も否定できず、多様な句風の混淆(こんこう)の中で、他所とは違った句作の導入が相次いだ斬新な俳諧の場所でありました。やがて、元和(げんな)元年(1615年)の大坂城落城の後、服部文右衛門信興は、北陸を経て長崎村の東に落ち着き、ここを開拓したと伝えられています。
服部文右衛門はなかなかの文人で、未覚が長崎に住む頃は、文新田の頭になっていました。服部文右衛門家所蔵の「追善俳諧」という前書きもない歌仙には、7人の集まりで35句が収められています。
そのうち、定章が6句、未覚が6句で、定章が初句を投じています。
一覧については本紙をご参照ください

▽用語の説明
文物:文化の産物
混淆:異なるものが入り混じること。
歌仙:すぐれた歌人を選び、その名や歌をあげたもの。

※引用
中山町史中巻「第10章第3節文芸と美術工芸」から

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU