文字サイズ
自治体の皆さまへ

文化財・歴史アラカルト

9/16

山形県新庄市

~新庄開府400年(2025年)に向け、新庄の貴重な文化財(たからを巡るシリーズ~
第14回 新庄藩十一代藩主戸沢正実筆 明倫堂/市指定書跡

新庄藩の藩校である明倫堂は、はじめは講堂や学校と呼ばれていました。幕末頃になり、新庄藩十一代藩主戸沢正実(まさざね)が、中国の古典「孟子」の言葉を元に「明倫堂」と名付け、掛軸を講堂に掲げました。これが明倫堂の歴史の始まりです。
明倫堂の校舎は火災により何度か移転し、最終的に現在の市民プラザの近くに移設されました。しかし、これも戊辰戦争の戦火で焼失。その後、再建されましたが、明治時代に始まった学制により、新庄・最上地域に小学校が創立され、明倫堂は廃校となりました。明倫堂に勤めていた教員の方々は、新庄・最上地域の各学校の教員となり、生徒たちは新庄小学校の前身である新庄学校に編入したそうです。
こうして幕を下ろした明倫堂ですが、その名前は今なお、明倫学区や明倫学園の語源として引き継がれています。

問合せ:歴史センター
【電話】22-2188

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU