林 寛治(かんじ)
■金山町役場庁舎(1)
1978年(昭和53)に金山小学校校舎が完成して、同屋内運動場の設計監理が始まっている頃、役場庁舎建設企画委員会、特に町長と町議会議員から質疑応答に呼ばれたことがあります。そこで近隣町村の新役場庁舎の話を聞きました。最上郡内の多くの町村役場は昭和30~40年代までに建替え済みで、中には議会棟が別棟の町村があるとも聞き、まさか?などと思っておりました。
当時の金山町の旧役場は、イチヤマ庭園側境界線に寄って1m足らずまで接した規模の木造2階建て庁舎があり、1階が事務室と町長・助役室、2階が議場兼用会議室でした。
その後方の内町側に別棟として、手前の庁舎と廊下で結ばれた役場事務室がありました。
奥の別棟は、1891年(明治24)築の高床木造で、当初は民事裁判所として、その後登記所、さらに終戦前には町長官舎として使用された後、戦後になって役場事務室として使われていたものです。
木造の旧庁舎は増改築を繰り返しながらも町制施行以前から新庁舎まで、約90年間大事に使われてきたわけです。
1970年代後半、町民・町議会から庁舎新築の要望が高まり、1977年に金山町庁舎建設企画委員会が設置されました。私は、金山小学校校舎建設の設計監理で現場往復中でしたので、庁舎に関する意見は求められませんでした。
しかし、現場報告のために訪れる木造官舎改造の事務室は、職員一人当たり面積が狭小で、夏は外光に対して暗く、特に冬場の室内あちこちに置いてある灯油ストーブには火事の危険を感じていました。
日を置いて金山町からの設計委託を受けることになりました。岸宏一町長からは山の中の町役場に相応しい格調を求められ、また役場工事費は補助金なしの独立予算だから充分に注意することを告げられました。
街中の豪雪時対策を意識しながらも、規模の差には関係なく、イタリアから帰国前1966年に見回ってきた北欧各首都やウィーンの歴史的市庁舎等、また憧れて観に行ったフィンランドのA.アアルト、デンマークのA.ヤコブセンの区役所庁舎や村役場などを想起しました。
遺跡を含め歴史が積み重ねられたローマの旧市内中心に住んでおりましたから、北欧を代表する建築と建築家の作品を現場で実視しておきたかったからです。
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