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ふるさとの誇り192 ○(まる)博レポート

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山梨県南アルプス市

■山梨最古!弥生時代の桃のたね
◆遺跡から見つかる桃
市内は桃やスモモの最盛期を迎え、たわわに実った果樹が広がる風景に目を奪われます。
南アルプス市の桃の栽培の歴史を紐解くと、栽培が本格化される明治時代以前のことは史料が少なく、江戸時代には栽培していたことは確実なのですが、詳細はよくわかっていません。
実はそれを紐解くヒントが遺跡にあります。市内の遺跡から江戸時代以前の桃が発見されているのです。遺跡から見つかる桃は、果肉は腐るので一般的に「タネ」と呼ばれる部分のみで、この硬い殻のことを「核(かく)」と呼びます(※1)。
南アルプス市からは複数の遺跡で桃核が出土していますが、なんと二千二百年以上前の弥生時代中期の桃核が六点も出土しており、これは山梨県で最古の桃核です(※2)。
遺跡での出土した状況を見てみると、桃は食用としてだけでなく、「マジカル」な「特別な意味」を持っていたようにみてとれるのです。

◆邪を祓うと信じられていた桃
桃は中国大陸から日本へ伝わったとされますが、古来中国では桃を出産や命、不老長寿などの象徴として考えたり、邪を祓(はら)う神秘的な力を持つ、縁起の良い物と考えられていました。理想郷のことを「桃源郷」とも呼びます。
日本においても同じで、例えば古事記ではイザナギ神(伊邪那岐)が黄泉の国から逃げ帰る際に、追手に追われ、桃の実を三つ取り、追手に投げつけて追い払ったという話があります。まさに桃が邪鬼を祓うという考え方が当時の日本にあったことがわかります。
もう一つ、日本人に馴染みのある「桃太郎」も同様です。桃太郎が鬼を退治する物語ですから、まさに桃が鬼を祓うという図式です。
ちなみに古くからある陰陽五行(いんようごぎょう)思想という考え方(※3)に、鬼門(きもん)や裏鬼門(うらきもん)というのがありますが、鬼門は丑寅の方角なので、鬼は牛の角に虎のパンツ姿で描かれ、裏鬼門は未申の方角でこの方角の果物が「桃」であり、裏鬼門から鬼門へ向かう際に申(さる)・酉(とり)・戌(い)を通るので、サル・トリ・イヌをお供にするとも言われています。
馴染みのある昔話も「桃」が邪鬼を払う力を持つという思想が反映されていますし、遺跡をみても、南アルプス市の大昔の人々も、上欄の出土例のように、まさにそのような力を信じて、桃を祭事やおまじないに使用していたことがわかります。
良い水に恵まれますように。日照りが起きませんように。洪水が起きませんように…と。今も願いは変わりません。

※1 実際の種子はこの硬い核の中にあります。
※2 現在のところ最古と言え、同時期の出土例が笛吹市にもあります。
※3 干支や二十四節気、風水などにも影響している思想

◇遺跡から出土する桃

山梨での最古の出土例は南アルプス市の大師東丹保(だいしひがしたんぽ)遺跡(甲西)の、桃核で、弥生時代中期の遺構や土層から6点出土しています。大師東丹保遺跡では、このほか弥生時代後期、古墳時代、鎌倉時代の遺構からも発見されています。桃の果肉は腐るのでのこりませんが、桃核はとても硬いのでのこりやすいのです。

◇桃はまじないのアイテム?
遺跡での出土状況は、邪を祓うなどの祭祀に用いられた様子のものが多くあります。中川田遺跡(甲西)では平安時代の桃核が大量の馬の骨とともに出土したことから、「雨乞い」や洪水などを防ぐ「水しずめ」などの祭祀である「殺馬祭祀」で桃が使用されたと考えられています。また、大師東丹保遺跡では、鎌倉時代の水田や流路などの水とかかわる地点から出土したり、祭祀に用いられるとされる斎串(いぐし)とともに出土しました。悪水が入り込まないように、良い水に恵まれることや除災などを祀った状況がうかがわれます。

◇桃核の大きさ

桃核とは種を包む殻を指します。出土した桃核の核長や厚みを検討すると、全国的に比べて、大師東丹保遺跡の弥生時代の出土例は大きいものと言えます。また弥生時代後期には丸みを帯びてくることもわかりました。平安時代には全国的に小型化することが指摘されており、中川田遺跡の例は平安期にしては大きいと考えられます。また宮沢中村遺跡でわかるように江戸時代以降の大型化は顕著となり、ほとんど現在のものと変わりません。

写真・文 文化財課

※詳細は本紙P.14~15をご覧ください。

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