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[特集01]1983.9.28(1)

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岐阜県美濃加茂市

昭和58(1983)年9月28日にこの地方を襲った台風10号。
大雨によって木曽川・飛騨川が増水・氾濫し市内各地で発生した浸水は、水害の凄まじい爪痕を残しました。
未曽有の大洪水から40年。
今回の特集では、過去を知り、現在、そして未来に対して私たちができること、残していけることを一緒に考えます。

◆泥海と化す中心街
昭和58(1983)年9月28日から29日未明にかけて、飛騨地方と東濃地方に台風10号がもたらした大雨によって木曽川と飛騨川が増水。両河川の合流地点でもある美濃加茂市は、記録にもない大洪水となり、市役所を含む太田地区、古井地区を中心に浸水しました。
浸水は、28日の午後7時ごろから、木曽川の水が堤防を越えたことにより、太田地区の深田町から始まり、そのスピードはとどまることを知らず、時間の経過とともに水かさが増していきました。最も深いところでは4m以上もの浸水が記録され、まちのいたるところで、家屋の2階まで水没してしまったのです。
日付が変わる29日の午前0時をピークに水位は徐々に下がり、翌朝までに浸水地区はなくなりましたが、まちには泥とごみ、濁流で押し流された車や木材などがあふれかえりました。

◆夜間の救助と避難命令
夜間の危険な状況の中、地域の消防団をはじめ、可茂消防や警察、民間の企業などの協力のもと大規模な救助活動が行われました。
また、浸水発生時は、太田地区の深田町を中心に避難命令を発令し、太田小学校、中央公民館(現:生涯学習センター)への避難を広報車などで呼び掛けましたが、時間とともに水位が上がり続けたため、順次中央体育館(現:プラザちゅうたい)、可茂消防中署、山手小学校へと避難所を拡大し、最終的に約1500人が避難をしました。

◆災害復旧に向けて
9月29日、市災害対策本部では早朝から救助、復旧体制を整備し、支援物資の配布や災害廃棄物の撤去、被害状況調査、防疫対策などを順次始めていきました。
災害発生後の6日間で、自治会や市内外の消防団、建設業協会関係者、近隣市町村、各種団体の皆さんなど、当時の市災害対策本部で受け付けた人数だけでも8335人に支援をいただき、早期の災害復旧を目指しました。実際は、この数をはるかに上回る応援を各方面からいただいていたとされ、早期復旧への足掛かりとなりました。

◆被災後の対応
この昭和58年の「9・28災害」を機に、浸水被害の原因であった木曽川の河川改修工事の必要性が見直されることとなり、同年、国の直轄河川激甚災害対策特別緊急事業に採択されました。
昭和58年度から63年度にかけて築堤や護岸工事などの大規模な改修工事が行われ、現在まで、市内における民家への木曽川からの浸水被害は発生していません。
また、この災害を教訓に、災害時、市内全域に同じ情報が伝達できるように、昭和59年から2年をかけて市内121カ所に放送装置を整備する防災行政無線などの設置を行い、災害時の情報伝達環境を整えました。

◆9.28災害による主な被害
被災者総数:6,196人
死者:1人
重傷者:1人
床上浸水:1,565戸・2,424棟
床下浸水:107戸・165棟
被害総額:約138億円

問合せ:防災安全課防災係 
【電話】内線272

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