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歴史遊歩(れきしゆうほ)

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岡山県岡山市 クリエイティブ・コモンズ

◆吉備の王と卑弥呼(ひみこ)、そして国土防衛の拠点吉井川 ―浦間茶臼山(うらまちゃうすやま)古墳・大廻小廻山城跡(おおめぐりこめぐりさんじょうあと)―
◇浦間茶臼山古墳
東区浦間、浅川の浦間茶臼山古墳は、全長139mの前方後円墳です。この古墳の特徴は、大きさではなくカタチです。邪馬台国(やまたいこく)の女王卑弥呼の墓の可能性が高いと考えられている奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳を2分の1に縮小しているのです。箸墓古墳は西暦3世紀中頃に築かれたものですが、邪馬台国の拠点の一つとされる畿内を除くと、箸墓古墳と相似形になる古墳で最大なものは、浦間茶臼山古墳です。これは、吉備の王が邪馬台国に次ぐ実力で、卑弥呼とも親しかったことを物語っています。
古墳時代初頭の前方後円墳は、交易のルートであった北九州から瀬戸内海沿岸に分布しています。朝鮮半島から瀬戸内海までの対外交易を安定させるために、沿岸部の王たちが手を結んでいたことを示しているのです。

◇大廻小廻山城跡
時代は移り、西暦7世紀、倭国は友好関係にあった百済(くだら)を救済するため、約千隻もの水軍を朝鮮に派兵し、唐(とう)・新羅(しらぎ)軍を相手に「白村江(はくすきのえ)の戦い」にのぞみましたが、その戦いに敗れてしまいます。その後、敵の侵略を防ぐため、九州と瀬戸内海沿岸に山城が築かれました。東区草ヶ部、観音寺の大廻小廻山城跡もその一つです。瀬戸内海を展望でき、備前国府や古代山陽道に近い要所に築かれていることから、吉備地域の戦略的重要性を示す貴重な遺跡であり、総社市の鬼ノ城と並ぶ吉備の古代山城として国の史跡に指定されています。発掘調査された遺構は埋め戻されていますが、石塁の一つ「一の木戸」は今も見学できます。
浦間茶臼山古墳と大廻小廻山城跡、どちらも歴史風情が漂う場所です。暑さも和らいだこの時季に散策に訪れてみてはいかがでしょうか。

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