◆鎌倉殿(かまくらどの)と万富東大寺瓦窯跡(まんとみとうだいじかわらがまあと)
◇東大寺焼失
鎌倉殿とは、昨年のNHK大河ドラマの主要登場人物であった源頼朝のことです。貴族の世から武士の世への転換を告げることとなった源平の合戦は、東海道、北陸道、山陽道、西海道、南海道と、東日本から西日本までの広範囲を巻き込んだ未曽有の大戦乱で、さらに飢饉(ききん)も加わったことで耕地は荒廃し、人々の心も疲弊した状況となりました。
そこからの復興を図るため、頼朝は平氏の焼き討ちによって焼亡した東大寺の再建を進めていきました。東大寺の再建は、世の中が平和になったことの象徴だったのです。
◇万富東大寺瓦窯跡
東大寺再建という一大プロジェクトに参加したのが、東区の万富を中心とした人々です。この地は古くから焼き物の産地であったため職人の技術力を期待され、東大寺大仏殿の屋根瓦の生産が行われました。
焼成された瓦は、大仏殿のみではなく、中門や回廊、南大門、鐘楼にも使用され、約30~40万枚を生産した大規模な瓦製造工場だったことが分かっています。
東大寺再建プロジェクトの指揮を執ったのは一人のお坊さんで、名を俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)といいます。中国への留学経験を持ち、最新の技術力と企画力を合わせもった怪物ともいえる人です。さらには当時、治療の場でもあったお風呂を各地につくり、いわば社会貢献も行ったスーパーマンです。
重源の死後、東大寺再建の仕事は北区吉備津神社の神官の一族で、鎌倉仏教の開祖である禅宗の栄西(えいさい)に引き継がれました。
発掘調査が進み、当時の窯場の仕組みが解明されてきています。万富公民館や埋蔵文化財センターでは、出土した東大寺瓦の軒丸瓦(のきまるかわら)の実物を見学できますので、ぜひ訪ねてみてください。
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