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ふるさとふちゅう再発見【第33回】

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広島県府中町

■府中町で体験、四国お遍路(19)金剛寺(1)

広島新四国八十八カ所の第31番札所は府中町八幡の松崎山金剛寺(まつさきざんこんごうじ)です。金剛寺は、現住職の祖父が当時日本領であった台湾で開いた金剛院(こんごういん)が始まりと伝えています。先代住職(現住職の父)は台湾で生まれ、太平洋戦争が始まった際に日本に帰国しました。たび重なる移転で、記録が散逸し、正確なことは分かりませんが、佐伯郡能美町深江(ふかえ)(現江田島市)、高田郡美土里町(現安芸高田市)に移転、更に高尾山(たかおやま)中腹の岩谷寺(いわやじ)にも勤めていました。
宗教法人の登記は昭和28(1953)年に現在地で行われており、松崎山金剛寺としての活動はこの時から始まったことが分かります。その後、昭和35年に美土里町から本堂・鐘撞堂(かねつきどう)・三門(さんもん)を移築し、現在の金剛寺の原型ができました。
本尊は弘法大師(こうぼうだいし)です。素木(しらき)の像で秘仏のため大きさは確認できません。台湾から帰国した際には、子供の頃の先代住職が背負って歩いたとのことです。御詠歌(ごえいか)で「わだつみを渡りきませるみ仏(ほとけ)の衆生済度(しゅじょうさいど)ふ(う)慈光貴(じこうとうと)し」と歌われ、御本尊を守ってわだつみ(海)を渡り、帰国した経緯が伝わります。
金剛寺は府中中学校の東側の丘陵地の住宅地にありますが、ここはかつて八幡別宮(はちまんべっく)(松崎八幡宮)の供僧院(ぐそういん)である神前坊(しんぜんぼう)があった場所です。正徳2(1712)年の「安芸郡府中村寺社堂古跡帳」には真言宗の国勝院(こくしょういん)・神前坊(しんぜんぼう)などの五つの八幡別宮の寺院があり、毛利輝元(もうりてるもと)の時代には寺領もあったが、今は山林や田畠、藪になっていると記載されています。『芸藩通志(げいはんつうし)』の地図には「神前坊跡」と記されています。こういった弘法大師と由縁(ゆえん)のある場所に新たな信仰の場が生まれたのです。

府中町文化財保護審議会委員
菅信博

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