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ふらっと徳島 歴史と文化財めぐり 第14回 家老賀島家(かしまけ)屋敷

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徳島県徳島市

ふらっと徳島 歴史と文化財めぐり 第14回 家老賀島家(かしまけ)屋敷 家老屋敷から県庁、そして市役所へ

現在までに大半が埋め立てられ一部の水路を残すのみとなった寺島川には、寺島橋(幸町1丁目から2丁目間)が架けられていました。徳島城側から橋を渡ると、右側には稲田家(いなだけ)屋敷、左側に賀島家(かしまけ)屋敷がありました。両家とも家老として藩主を補佐し、稲田家(いなだけ)は代々洲本城代として同所に赴任し、賀島家(かしまけ)は仕置家老(しおきかろう)として徳島藩政(はんせい)を主導しました。
寺島橋は、徳島城の玄関口にあたる重要な場所だったので、守りを固めるために家臣団(かしんだん)トップの両家の屋敷が置かれていました。稲田家(いなだけ)の屋敷は3,711坪、賀島家(かしまけ)は4,535坪と広大で、非常時に備えて多くの家臣(かしん)を住まわせていました。
賀島家(かしまけ)屋敷の門構えは、長屋の中ほどに門があるように見えるところから名付けられた長屋門で、門の両側に広がる長屋は家臣(かしん)の住まいとして使われました。
明治時代初期の写真を見ると、長大な長屋門の屋根のさらに上部に母屋の屋根があります。母屋の建物がどれほど大きく立派だったのか想像もつきませんが家老賀島家(かしまけ)の経済力を物語っているようです。明治時代になり、賀島家(かしまけ)は多くの家臣(かしん)を抱える必要がなくなり、この屋敷を後にしました。
廃藩置県の実施された明治4年7月、屋敷は徳島県庁として使用されることになりました。昭和5年4月、万代町1丁目に新庁舎が建てられ移転するまで、約60年もの間、旧賀島家(かしまけ)屋敷は県庁として利用されました。同年転入した徳島市役所が、それ以降、同地を使用し現在に至っています。
江戸時代に藩の政治を主導した家老賀島家(かしまけ)の居宅だったこの場所は、明治時代には県庁、昭和以降は市役所として利用され続けていることになります。

問合せ:徳島城博物館
【電話】088-656-2525【FAX】088-656-2466

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