山の斜面にいくつもの田畑の石垣が残る、千町地区(旧加茂村)にある棚田。
日本一ともいわれる広さを誇る棚田でしたが、過疎・高齢化にともなって現在は約8割が耕作放棄地です。棚田は全国的にも約40%以上が消えているといわれています。
2019年には、棚田を継承するために「棚田地域振興法」が施行されました。
棚田はどこか「懐かしい」と感じる日本の原風景であり、先人の知恵と努力が詰まった大切な財産。
これを未来につなごうと、棚田で汗を流す人々を訪ねました。
▼執念が生んだ千町の棚田
1585年に土佐の豪族「伊藤(東)近江守祐晴」により開拓。山の斜面に開墾された田畑が千町歩(約1000ヘクタール)もあろうかと思われるほど広いところから名が付けられたといい、標高150mから500mの間に広がっています。お米を作るために、一つ一つ山を削り、斜面に石を積み、水田を広げていきました。最盛期には約60ヘクタール、2500枚の棚田が広がっていました。山腹の至るところに湧水があり、きれいな水と一日の寒暖差が大きいことで、お米のおいしさには定評があります。2022年には「つなぐ棚田遺産〜ふるさとの誇りを未来へ〜※」に選定されました。
※全国では271カ所。県内では5カ所
▼棚田とは
山の斜面や谷間の傾斜地に階段状に作られた水田。1枚の水田の面積は狭く、これが規則正しく並び、山の斜面を覆います。
棚田の役割:
(1)水源かん養
(2)国土保全(土砂流出防止)
(3)生物多様性保護
(4)地球温暖化防止
(5)保健休養機能
(6)食糧生産機能
(7)里山景観
千町の棚田は標高差350mの範囲に石積みの棚田が2,500枚!
▼町の棚田へのアクセス
国道11号線加茂川橋交差点を国道194号線(そらやま街道)に入る。千町・藤之石本郷方面の表示板が見える交差点を左折
※詳細は本紙参照
▼千町の棚田の現状
▽耕作放棄地が約8割
耕作面積が60ヘクタールから約10ヘクタールに。耕作放棄地が増えると、草や放置竹林も増えます。棚田が機能しないと土砂災害につながったり、水源かん養の機能を失うことに。
▽千町地区の住民が激減
1950年ころは96世帯、約500人いた住民も現在は9世帯、15人。水田を戻すには約2年かかるといわれています。傾斜地にある棚田は不便で一枚一枚の面積が小さく、労力が必要なため、過疎・高齢化に伴い、保全がますます困難に。
■棚田を守る理由(わけ)
千町の棚田で活動する団体の一つ、NPO法人うちぬき21プロジェクトの千町棚田チーム(以下、チーム)。
棚田保全を目的に2018年から本格的に活動しています。
その中心にいる、住民の山内隆彦さんと西条農業高校で教諭を務める成髙久豊さん。活動の原動力と思いとは。
▼故郷へUターン。みんなの憩いの場所に
▽ふるさとへ戻る決断
「18歳で『こんなとこいやだ』って出ていった」。高校まで千町地区で暮らし、卒業後はふるさとを離れ、県外で働いていた山内隆彦さん。地元を離れているうちに少しずつふるさとへの思いに変化が。「帰省を繰り返すうちに、千町への思いが徐々に変化し『この場所はやはり特別だ』と思い始めた」。千町の変わって行く姿に心痛める中、4年前に父の介護のために急遽帰ってくることに。「親父が貸していた土地とかで、成髙先生らが必死に作業している姿を見ていると、ここを潰すわけにはいけない、残るしかねえよな」と仕事を辞め45年間離れていたふるさとへ戻る決心をしました。
▽先人が残した特別な場所
最近では「千町を知る」きっかけにしてほしいと、自宅の隣に体験ハウス「RESET(リセット)」を開設。
「田植えや草刈りだけじゃなく、ちょっと休める場所を作りたいなと思って、1年間かけて空き家を改築した。こののどかな雰囲気を体験し、『また来ます』という人が1人でも増えれば」と、今後はピザ窯や露天風呂なども作っていくそう。
今後の思いを聞くと、「自分の家から見えるこの石垣の風景が大好きなんだよ。昔、崩れているとこを直したことがあったんだけど、1枚直すにも半年かかった。それを昔の人は2500枚だなんて。やっぱりすげーなって。昔は米で家族を養うために、みんな必死にやっていた。その努力の結晶がこの石積み棚田に表れているよね。江戸時代みたいに食いつないでいく棚田はないけど、ふるさとへの思いと、先人たちの残したものをつなぐという責任感を持って、未来につなげたい」と笑顔で話してくれました。
山内隆彦(たかひこ)さん
千町地区の住民。67歳。チームのメンバーとして活動するほか千町の棚田の魅力を知ってもらおうと今年10月から体験ハウスを開設。
▼若者たちとここを一緒に守りたい
▽棚田との出会い
「ここが機能することで、西条の水と環境を守るんよ」。成髙久豊さんが千町の棚田と出会ったのは2006年。「当時の校長がテレビ番組の「DASH村(ダッシュ)」みたいにしようと言ったのが、活動の始まりなんよ」。当時西条農業高校では、学校行事の一環で毎月第一土曜日に生徒や市民が一体となって、千町で稲や草木を栽培していましたが、生徒数の減少などで活動が衰退。成髙さんも異動などで、一度は棚田から離れていましたが、再び西条農業高校へ。「戻ったときに、棚田のことがちょっと気になっていた。自分のふるさとによう似とるんよ。なんとかせないかんなあと思いました」。そこから保全活動を再開した成髙さん。平日の授業のほか休日も合わせ、週4回ペースで作業しています。
▽次の世代へつないでいく
保全活動はうちぬき21プロジェクトが主体的に行ってきましたが、メンバーも高齢化が進んでいます。「後世に残したい」そんな思いでできたのが、西条農業高校棚田チーム。成髙さんの指導のもと、生徒たちが活動しています。「最近は卒業生も来てくれて、後輩たちに教えてくれる。頼もしいね。将来農業したいという子もおるんで、ここで学び、自分の家の土地も守るし、千町も守ってもらうという風に理想を持ってね。僕がやりよるような活動を続けてもらいたい」と棚田継承への思いは誰よりも大きいものがあります。
「ここに来たら心が癒やされる。第二のふるさとやね。最近では地元住民の子どもさんや、お孫さんが草刈りを手伝ってくれた。元には絶対戻せんから、つなぐ棚田遺産に登録されとる範囲(約20ヘクタール)は石垣が見えるようするのが最大の目標です」と成髙さんは今後を見据えながら、今日も棚田で活動します。
成髙久豊(ひさとよ)さん
大洲市生まれ、市内在住。63歳。チームリーダー。3年前に教諭を退職し、現在は西条農業高校の再任用教諭として土木や環境を専門に授業を行う。チームのメンバーも募集中(【電話】090-4504-2391)。
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