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町指定有形文化財に指定! 玉松山 祐福寺 所蔵の軸 二幅

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愛知県東郷町

鎌倉時代創建の祐福寺と町の歴史を紐解く貴重な文化財

■当麻曼荼羅(たいままんだら)
当麻曼荼羅は、当麻寺(奈良県葛城市)に伝来する国宝、綴織当麻曼荼羅を原本として、多くの模本が制作されています。4メートル四方の原本に対し、本図は6分の1で縦長の画面に再構成されています。
平成25・26年度に保存修理されましたが、承応2年(1653年)に施された旧装幀の裏に貼られた文書には、三輪山大神神社(奈良県桜井市)の神宮寺である大五輪寺(廃寺、現在の大直禰子神社)から長享3年(1489年)に譲り受けたと記録されています。時代は南北朝時代前後と推定され、作成・伝来ともに尾張地域の当麻曼荼羅の作例として貴重であるとともに鎌倉時代創建と伝えられる祐福寺の歴史や町の歴史を紐解く貴重な資料です。

■不動明王像(ふどうみょうおうぞう)
右手に三鈷柄剣(さんこづかけん)、左手に羂索(けんさく)を持つ不動明王が岩座の上に立っています。侍者である制吒迦童子と矜羯羅童子は通常、不動明王の左右に配されますが、本図では画面右側にまとめ、画面左側に不動明王の剣の化身である倶利伽羅龍を独立して描いています。
平成25年度に保存修理されましたが、画絹の欠失のため不動明王の表情が不明です。解体時に「不動明王明詫筆寛政八辰修補綜空上人代」(1796年)の修理記録が確認されました。
不動明王は、祐福寺中興の祖、達智上人(1389年没)の念持仏であると伝えられています。作風から達智上人の在世時よりは下るようですが、後代に施入された物ではなく、古くから祐福寺に伝来したものと推察され、制作年代は二童子の容貌表現から室町時代と推定されています。
祐福寺は浄土宗西山禅林寺派の寺院であり、伝来する宗教美術の多くは阿弥陀三尊来迎図などの浄土教美術です。その中で異色の密教美術であり、中世の祐福寺が浄土宗専修道場ではなく、密教の験力で地域の安寧を護持する寺院としての性格を持っていた事を示しています。

(名古屋市博物館寄託中)
(写真撮影:名古屋市博物館)

問い合わせ:生涯学習課
【電話】0561-38-7780

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