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受け継がれる伝統と匠の業(わざ)令和5年度新指定文化財「江戸手描提灯文字入れ」(1)

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令和5年4月1日、「江戸手描提灯(てがきちょうちん)文字入れ」を区指定無形文化財(工芸技術)として指定しました。
安政元(1854)年に創業し、現在まで江戸手描提灯の技術を継承してきた神田佐久間町の吉野屋商店。
今号では提灯の歴史と継承される技術、そして想いに迫ります。

■江戸手描提灯と吉野屋商店
◆提灯の歴史
提灯の歴史は古く、室町時代の初期に中国から伝来したものといわれています。当初は木枠に紙を張ってぶら下げる箱提灯のようなもので、折りたたむことはできませんでした。私たちが想像する上下に伸縮し、折りたたむことができる提灯は、室町時代後期の天正~文禄年間(1573年~1596年)に発展したとされています。この構造は日本独特のもので、戦場や祭礼の灯(あか)りとしてたくさん使われるようになり、軽くて携帯に便利な簡易型として発展を遂げたものです。
江戸時代中期に蝋(ろう)を絞り取るための櫨(はぜ)や漆(うるし)の栽培が盛んになって、ロウソクの大量生産ができるようになると、提灯は安く大量に出回り、庶民の灯りとして社会に浸透していきます。この時期に発展した提灯には、小田原提灯や岐阜提灯、高張提灯、弓張提灯などがあります。

『骨董(こっとう)集』上編中巻(山東京伝著・鶴屋喜右衛門ほか版、文化11年(1814)刊、国立国会図書館所蔵)では、提灯の起源や使用方法などが挿絵付きで記載されている。

◇小田原提灯
享保年間(1716年~1736年)に相州小田原の甚左衛門が考案したとされる小型の提灯。折りたたむことができるため持ち運びに便利で、胴紙がはがれにくく丈夫なことから旅人や駕籠(かご)かき(駕籠を担いで乗客を運ぶ人)もよく使用した。

◇岐阜提灯
宝暦年間(1751年~1764年)に始まり、文化文政年間(1804年~1830年)頃に確立したとされる。骨の細い卵型の火袋(ひぶくろ)(紙で覆いをした部分)に美濃産の薄い典具帖紙(てんぐじょうし)(極めて薄く強靭(じん)な和紙)を使用した提灯で、仏前に供え、夏の納涼や迎え盆のために軒先に吊るされてきた。製作用具や製品は、国登録有形民俗文化財になっている。

◆江戸手描提灯とは
江戸時代に提灯が一般に普及し始めると、江戸で提灯の文字入れが盛んになりました。白張提灯に手作業で文字や家紋を入れますが、文字は「江戸文字」という、提灯を下から見上げたときに美しく、はっきりと見える字形が用いられています。通常の書道とは異なり、手描提灯では「何度も塗り直しながら」文字や紋の形を調えるのが特徴です。「手書」ではなく「手描」の漢字を当てるのも、このことからと考えられます。

◆吉野屋商店と提灯
提灯の卸問屋は、都内にわずか6軒。区内では、吉野屋商店が唯一の提灯の卸問屋です。徳川家康の関東入国とともに江戸にやってきた三河武士の末裔(えい)と伝える吉野善助を祖とし、安政元(1854)年に神田で創業したとされ、現在7代目の歴史ある卸問屋です。同店は、区内の神社仏閣の行事・祭事の際に、毎年多くの提灯を製作し、小売店に卸しています。特に、大小3万個の提灯を飾るみたままつりでは、例年一部を作り直しながら継続して提供しています(令和4年は約1万2000個を製作)。
卸業は本来、描き職人を抱える小売店に仕事を振る役割を担いますが、吉野屋商店は卸問屋としては都内で唯一、自社に職人を抱えており、店舗で提灯の文字入れや紋描きを行っています。

「今年は神田祭が4年ぶりに開催されたため、久しぶりに忙しい日々を過ごしていました。やはり提灯はお祭りや伝統文化とともに明かりを灯すものだと感じます。今後も提灯の灯を絶やさぬように、伝統を守りつつ、提灯の可能性を広げていきたいと思います。」
7代目の吉野喜一さんとともにお店を守る吉野由衣子さん

問合せ:日比谷図書文化館文化財事務室
【電話】03-3502-3348

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