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【特集】千代田に眠る古(いにしえ)の記憶-発掘調査・文化財からみえてくるもの―(1)

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■千代田区の遺跡
「遺跡」という言葉を聞くとどのようなイメージを持つでしょうか。エジプトのピラミッドやギリシャのパルテノン神殿のような、地上に見える建造物を思い浮かべる人が多いかもしれません。ところが、実際には土の中に眠っている遺跡が多数を占めています。遺跡が「現在の建物」として使われていた時代を過ぎると、地上部分が壊されるなどして、基礎の部分や地下施設のみが残ることが多いためです。
日本の文化財行政では、土の中に残された遺跡のことを埋蔵文化財と呼んでいます。埋蔵文化財が残されている土地は埋蔵文化財包蔵地と呼ばれ、都道府県が取りまとめて登録することになっています。
区には、現在97か所の埋蔵文化財包蔵地が登録されています。数としては近隣の市区町村よりもやや少ないですが、江戸城跡や江戸城外堀跡が大きな面積を占めているため、埋蔵文化財包蔵地としての面積は大きな自治体です。

■発掘調査から分かること
埋蔵文化財包蔵地で開発を行う場合には、発掘調査を行い、必要な記録をとることが義務付けられています。発掘調査からは、その土地で暮らした過去の人々の生活や、当時のまちなみの様子をうかがい知ることができます。
令和2(2020)年に行った神田猿楽町一丁目遺跡(区立お茶の水小学校)の発掘調査では、これまで存在が知られていなかった古代の小河川の跡が発見されました。この小河川は駿河台方面から南に向かって流れていたとみられ、上流で使われたとみられる縄文時代の土器や古代の須恵器(すえき)(青灰色(あおはいいろ)で硬い陶質土器)の欠片(かけら)なども発見されました。
区内には、江戸時代の遺跡の発掘調査成果も多数あります。例えば、令和2(2020)年に皇居三の丸の土中から見つかった石垣は、徳川氏によって江戸城が整備された初期のものと推定され、翌年にはテレビでも報道されるなど大きな話題となりました。また、北の丸公園の日本武道館サブアリーナの新築に伴って行われた発掘調査では、これまでほとんど調査が行われてこなかった徳川御三卿(※)の一角である清水徳川家の屋形の御殿の記録をとることに成功し、中奥御殿の基礎の様子が明らかになりました。
発掘調査の面白さの一つに、文字の記録に残されていない歴史を知ることができるという点があります。江戸時代に埋め立てられた古代の小河川がどこにあったかを記している地図はありませんし、徳川御三卿の屋形の御殿の中で女性たちがどんなかんざしを使っていたかも発掘された実物を見なければ知ることができません。
区内では、こうした発掘調査が毎年複数件、行われています。その成果は、日比谷図書文化館での展示や、学芸員による講座、各図書館などに配架されている発掘調査報告書などで見ることができます。
また、区はまちづくりの中で遺跡の一部を現地で保存活用することにも力を入れています。例えば、JR有楽町駅東口のイトシアの地下はぜひ立ち寄ってほしい場所の一つです。ここでは、発掘された江戸時代の南町奉行所の地下室(むろ)や上水木樋(じょうすいもくひ)が展示・再活用されています。待ち合わせのために何気なく座ったベンチが、実は遺跡の一部だったという体験がまちのあちこちでできるのも千代田のまちの魅力の一部と言えるかもしれません。

※田安、一橋、清水の3家で構成される将軍家の家族で、江戸時代後期には将軍となる人物を輩出する重要な家柄

問合せ先:日比谷図書文化館文化財事務室
【電話】03-3502-3348

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