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特集「すぎなみビト」日本語教育実践家・嶋田和子(1)

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東京都杉並区


■プロフィール
嶋田和子(しまだ・かずこ)
昭和21年東京都生まれ。都立西高等学校卒業。津田塾大学英文科卒業。放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。外資系銀行に就職後、専業主婦を経て日本語教師となる。平成2年から国際青年交流学園イーストウエスト日本語学校に勤務。教務主任、副校長を歴任して平成24年に退職。現在は、アクラス日本語教育研究所代表理事、日本語教育学会監事、杉並区交流協会評議員および子ども日本語教室統括コーディネーターなどに携わっている。

■日本語ってどんな言葉? 興味を深めて日本語教師の道へ
Q:日本語教育に携わることになった背景を教えてください。
A:私は昭和21年東京生まれ。大学卒業後に就職しましたが、その頃の多くの女性がそうだったように、結婚を機に退職して専業主婦になりました。日本の企業ではまだ女性に与えられる仕事が限られていた当時、私は思い切り働きたいと思っていたので外資系銀行を選んだけれど、やはり時代の潮流には逆らえませんでした。でも、また働きたいと強く思っていたので、家事や育児をしながらも、再び働くための準備だけはずっとしていました。そして、夫の転勤先だった北九州から東京に戻ったタイミングで、カウンセラーの勉強を始めたのが最初の一歩です。

Q:日本語教師として教壇に立つようになったのはなぜですか?
A:とある心理学の授業中、英語のカウンセリング動画を視聴する機会がありました。そのとき、言葉が違うことでいつもの日本語のカウンセリングと何かが違うと感じました。それが、日本語に興味を持ったきっかけです。自身の母語…日本語とはどんな言葉だろう?と考えると、日本人にとって日本語とは「空気のような存在」であり、本当の意味で分かっていないことに気付きました。そこから日本語への興味が増し、新聞で見つけた日本語教師養成講座を受けた後、すぐ教壇に立ちました。もう40年近くになります。

Q:どのような場所で日本語を教えてこられたのですか?
A:最初は、プライベートでビジネスパーソンに教える仕事。その後、いくつかの日本語学校を経て、平成2年から二十数年間、中野区にある日本語学校に在籍し、教育責任者を務めました。同時に、大学で日本語教育学を教えたり、各地の国際交流協会や地域の日本語教育にも多く関わってきました。

Q:長く日本語教育に携わる中で、時代の変化も感じましたか?
A:日本語学校の教育責任者になった当時は、外国人留学生というだけで、アパートを借りるのも門前払い。50軒以上回ってやっと借りられるような状況でした。外国人に対する無関心と偏見が強い時代でした。でも、その現状を怒っても仕方ない。それなら私たちが地域に根差した学校を作ろうと決心しました。

Q:地域に根差した日本語学校。どのような活動をされたのですか?
A:まちの人に、外国人留学生も同じ地域で暮らす生活者なのだと分かってもらえるように、留学生たちと一緒に地域でさまざまな活動を始めました。そうやって地域に入っていくことで、徐々に地域の人たちも変わっていったように思います。「支援」ではなく「協働」することが人や社会を変えていくと、今でも感じています。

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