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特集 「すぎなみビト」杉並光友会(原爆被爆者の会) 西尾睦子(2)

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東京都杉並区

■証言者になり、思い出すことのなかった記憶に向き合って
Q:終戦を迎えた後、家族はどう暮らしを立て直していったのですか?
A:私は父だけでなく、祖父も叔母もいとこも原爆で失いました。戦後の暮らしについては、とても言葉では語り尽くせないものがあります。母は元々のんびりとした性格で父をとても頼りにしていましたから、父を失い生きていくのは本当につらかったでしょう。それでも、実家のあった大手町に狭い小さな家を建てて、店を始めました。母はたびたび夜なべをしていて、寝る間もなかったのではないかと思います。私自身、そんな母を助けなければという思いを長い間抱えていました。

Q:杉並光友会に加入したきっかけをお聞かせください。
A:私が杉並光友会に加入したのは70歳を過ぎてからです。それまでは、被爆体験を思い出すことはありませんでした。戦後はずっと広島で暮らしてきましたが、夫の転勤で各地を経て杉並の久我山に暮らすようになり、杉並光友会の方に「一緒に活動しませんか」と声をかけてもらったことが加入のきっかけです。当時は、証言者としてではなく事務局の仕事を担うかたちで活動を始めました。

Q:証言者として活動するようになったのはなぜですか?
A:証言者の高齢化が進み、証言をできる人が減ってきてしまったことが理由にあります。私自身、敗戦の翌月で5歳でしたから、4歳までの記憶しかありません。それらも断片的でなかなかつながっておらず、証言をできるとは思ってもいませんでした。それでも杉並光友会の先輩方に助けていただきながら、自分の記憶も少しずつ掘り起こしていき、6年ほど前から区内の小中学校で出前授業として被爆体験を語り続けています。

Q:子どもたちに78年前の出来事を伝える難しさは感じますか?
A:子どもたちが聞いて理解できる言葉を選んだり、たくさんの情報の中から何を話すと伝わりやすいか考えたり、いまだに模索しています。昔、母が私や弟の子どもたちに対して、「今日はおばあちゃんから戦争の体験を話します」と被爆体験を聞かせたことがあったんです。包み隠さず惨状を話したことが子どもたちにはとてもショックだったようで、「あれは怖かった」と今でも娘に言われます。そんなこともあり、伝えることの難しさはいつも感じています。

Q:授業後の子どもたちの反応で、特に印象深かったものを教えてください。
A:いつも授業の後に何人かの子が質問をしてくれるのですが、あるとき「広島の平和記念資料館へ行ったことがありますか?」と聞いてくれた子がいました。実は、私は平和記念資料館に今でも入れないでいるんです。あまりにたくさんの家族を一度に失いましたから、どうしても直視できなくて。でも、今度広島に帰ったら必ず勇気を出して行ってみようと思っています。質問してくれた子と、約束したことでもありますから。

■被爆者が高齢化する中で見据えるべき未来
Q:今も世界では戦争が続き、核兵器廃絶にも届かない現実があります。
A:5月にG7広島サミットが開催され、原爆死没者慰霊碑に各国の首脳が花をささげるシーンをたくさんの人が報道で目にしたと思います。あの場所は原爆が投下されたとき、たくさんの中学1年生が建物疎開の片付けをしていて命を失った場所です。彼らの平和を願う声が届いたでしょうか。杉並区は昭和63年に「平和都市宣言」を行い、その中で核兵器廃絶も唱えています。核兵器禁止条約の批准国は今68カ国※。もっと批准国が増えていかなければ核兵器廃絶は進みません。※令和5年6月現在。

Q:被爆者として、西尾さんが未来に願う平和への思いとは?
A:杉並光友会は証言者の高齢化が進み、証言できる人が年々減っています。同様の現象は広島でも起きていて、記憶を語り継ぐための取り組みがさまざまに始まっています。それらを参考にしながら、私たち杉並光友会も証言を未来につないでいきたいです。今もしも原子爆弾が使われたら、広島・長崎に投下されたものと比べて、威力が三千倍にもなるといわれています。世界で3回目の原爆投下は絶対にない。そう信じて、今後も活動に取り組んでいきたいです。

■平和展「あの日、ヒロシマで ヒロシマを生きた女学生運転士と軍医の話」
さすらいのカナブン著「あの日、ヒロシマで」のイラストや写真、関連図書などから、広島の被爆の実態を伝える展示を行います。

日時:8月4日(金)~9月6日(水)午前9時~午後8時(8月17日を除く。日曜日、祝日は午後5時まで)
場所:中央図書館(荻窪3-40-23)

問合せ:区民生活部管理課平和事業担当

■YouTubeで配信中!「すぎなみビトMOVIE」
すぎなみビト「西尾睦子さん」のインタビューが動画をご覧いただけます。

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