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自治体の皆さまへ

年を重ねても、世界で陸上競技を楽しみたい。(1)

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東京都渋谷区

―何歳になっても諦めず、0.1秒でもタイムを縮めたい。―

■しぶや区ニュース×渋谷のラジオ 渋谷のラジオで出張インタビュー
公益財団法人日本陸上競技連盟に所属するマスターズ・アスリートの佐藤隆一さんに、陸上競技を始めたきっかけやその楽しさ、大会での出会いについて伺いました。

・日本陸上競技連盟所属 マスターズ・アスリート 佐藤隆一(さとうりゅういち)さん
「年を重ねてもいろいろなことに挑戦できると思いますので、諦めないでくださいね。一緒に頑張りましょう。」
昭和28年、東京都出身。渋谷区在住。公益財団法人日本陸上競技連盟(以下、日本陸連)に所属するマスターズ※1・アスリート。50代でランニングを始め、57歳で挑戦した東京マラソンをきっかけに、日本陸連に所属し数々の競技大会に出場。平成26年の第35回全日本マスターズ陸上競技選手権大会で優勝(800m)したことを皮切りに、平成29年のワールドマスターズゲームズ・オークランド大会でも優勝(400m、300mハードル)を果たし、これまで多くの国際大会で好成績を飾る。近年は競技大会に出場しつつ、陸上競技で出会った友人を訪ね、各国のローカル競技大会も楽しむ。現在の目標は、世界五大陸での選手権制覇。

※1 マスターズはベテランズとも言い、男女ともに満18歳以上であれば、競技成績に関係なく同年代の人と競技ができる。全日本大会にも出場でき、アジア・世界大会へは35歳以上であれば出場可能(参考:公益社団法人日本マスターズ陸上競技連合HP)。

◆「負けたくない」という一心で、競技にのめり込んだ
◇佐藤さんが陸上競技を始めたきっかけについて教えてください。
佐藤:50代のころ、自分の体型が気になりダイエットをしようと、ランニングを始めたのがきっかけです。最初は市民ランナー※2として、腕試しに地域のマラソン大会に出場していました。

※2 実業団に所属したり、専門的なトレーニングを受けたりすることなく、趣味でマラソンや駅伝などを楽しむランナーのこと。

◇その後、日本陸連に所属し、陸上競技を本格的にやっていこうと考えた理由は何ですか?
佐藤:世界陸上(世界陸上競技選手権大会)のテレビ中継で、MCの人の「世の中には魅力あるスポーツがたくさんありますが、かけっこをしない国はありません。陸上競技には心が揺さぶられる人間ドラマがあります」というコメントに刺激され、「世界中のかけっこの一番になりたい」と思うようになりました。そんな中、57歳の時に東京マラソンの10kmの部(当時)に出場したんです。レース終盤、私は上位に食い込んでいたものの、集団の中でロシアとイギリスの選手と競り合っていました。皇居の内堀通りに差し掛かった時、「ゴール手前で負けるわけにはいかない」と奮起し、粘りに粘って34位でゴールしました。この大会で、競うことの楽しさを覚え、国際大会を目指すようになったんです。ところが、いざ陸上競技の世界に入ってみると、周りの選手たちのレベルの高さに圧倒されました。最初はほとんど予選敗退でしたね。

◇当時、成績が振るわなくても陸上競技を続けようと思ったのはなぜでしょうか?
佐藤:積み重ねてきた練習を無駄にしたくなかったという気持ちが大きいですね。世界マスターズ陸上競技選手権大会は2年に1度しか開催されません。その間は毎日、練習や体重のコントロールが欠かせないので、大会で負けたら努力がもったいないと感じ、競技にのめり込んでいきました。

◆年齢を重ねても、諦めずに挑戦し続けたい
◇国内外の大会に出場する中で、印象に残っていることはありますか?
佐藤:ヨーロッパやアメリカでは、陸上競技がとても盛んです。陸上競技の大会は週末に決勝レースが組まれていて、地域の人たちが気軽に観戦にきます。アリーナで行われる室内陸上大会は、1周200mと短いコースを使うので、コーナーの急カーブで体の接触が激しいレースが展開されるんです。実況中継も熱が入るので、会場が非常に盛り上がります。そんな会場で日本人の私が優勝すると、ウィニングランで温かくひときわ大きな声援をもらえるんですよ。陸上競技は選手も観客も一緒に楽しめるスポーツだと感じます。

◇平成26年の第35回全日本マスターズ陸上競技選手権大会(800m)、平成29年のワールドマスターズゲームズ・オークランド大会(400m、300mハードル)で優勝した時の気持ちをお聞かせください。
佐藤:全日本で優勝した時は、正直なところ、それほどうれしくなかったんです。この大会はアジア選手権との併催だったので、日本人だけでなくアジア各国の選手も出場していました。私は日本人の中では1位でしたが、レース全体では中国人選手に負けてしまいました。うれしさよりも「負けた」という感覚が強かったですね。この悔しさをばねにして練習を重ね、3年後の世界選手権(オークランド大会)で優勝しました。この時、選手仲間から「SHINKANSEN(新幹線)」というニックネームをもらったんです。ようやく周りの選手たちから認められた気がして、とてもうれしかったですね。

◇日本および世界チャンピオンになるまで、どのような苦労や厳しさがありましたか?
佐藤:とにかく練習時間の確保に苦労しました。日中は仕事をしていたので、会社帰りに陸上競技場でトレーニングして、くたくたになって帰宅し、翌朝も会社に行く、という日々の繰り返しでした。新潟県に単身赴任した時は、冬の間、吹雪の中で練習していましたね。私は陸上競技のプロ選手ではないので、仕事との両立が一番大変でした。

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