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青梅市吉川英治記念館 ガイドボランティアインタビュー 1

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東京都青梅市

■青梅市吉川英治記念館の魅力について語ってもらいました!
今年から始まった青梅市吉川英治記念館ガイドボランティアについて、ボランティアの岡 光雄さん、太田順一さん、吉村正久さんにお話を伺いました。
(文中のガイドボランティアの敬称略)

◇柚木町に吉川英治記念館を残したくて
ーガイドボランティアに申し込まれたきっかけは?
吉川英治記念館が吉川英治国民文化振興会から市の方に寄付を申し入れた新聞の記事を見ました。そこで、ぜひ柚木町に記念館を残してもらいたくて、先頭に立って、寄付を受け入れてもらうよう市にお願いに行きました。ガイドボランティアの募集の時にもすぐ応募しました。(岡)

妻が「応募してみたら」ということでガイドボランティアに申し込みました。やってみてすごく面白いし楽しいですね。いろいろな方々のご質問を受けると、まだよく知らないことも多く、勉強することで吉川英治先生についての知識が広がり、それが生かせればいいなと思っています。(吉村)

記念館を盛り上げて一人でも多くのお客様に来ていただき、先生の良いところを伝えたいなと思い応募しました。一番好きな言葉は先生が好んだ「吾以外皆吾師(われいがいみなわがし)」という言葉です。先生は本当に謙虚な方で、その言葉を基にこれからも記念館を訪れる方に、元気で気持ちの良いガイドをしたいと思っています。(太田)

◇梅まつりとともにガイドを始めて
ー現在のガイドボランティアの活動状況について教えてください。
現在11人がガイドボランティア登録をしています。地元の方もいれば、地元企業に勤めている方もいます。2月から3月にかけて梅まつり期間中に初めてガイドボランティアを始めました。今秋に同じような形でガイドを行う予定ですが、今はその間ということで不定期にできる人が交代で、土・日・祝日にやろうということで行っています。
内容としては主屋、それから長屋門等の建物の説明、それから庭園の説明を主に行っています。ガイドの中で、先生の個人的な話も織り交ぜています。(岡)

◇先生のお勧め作品「忘れ残りの記」
ーガイドにあたり先生の作品は読まれましたか?
先生の作品は、当初「宮本武蔵」ぐらいしか読んだことがなかったのですが、他の作品も知ろうと思い、「新・平家物語」、「私本太平記」、「太閤記」「三国志」とかいろいろ読みました。その後、先生に関する伝記も読んだりして、自分なりに勉強してきたつもりです。
先生の自叙伝「忘れ残りの記」には子どもの頃から四半世紀、その後、お父さんとお母さんがお亡くなりになった時のことが書いてあります。非常に苦労されて、小学5年生の時に学校を辞めさせられて奉公に出たという等々のお話があり、読んでいて涙が出てくるような部分も多々ありました。個人的にお勧めしています。(岡)

◇一期一会の出会いにやりがい
ーガイドして印象に残ったことはありますか?
梅まつりのとき、20組ほどガイドしたのですが、市内の方は2割ぐらい。市内の方が多く見えられるのかなと思ってたのですが、意外とほかの地区の方が多いなと思いました。先生はある意味で全国区だなと思いました。
印象に残ったことで言うと、名古屋から来られた方は、先生の作品の挿絵をいつも書かれていた杉本健吉画伯をよくご存じで、いろいろ教えていただきました。杉本画伯の地元にある杉本美術館が一昨年の10月に閉館になったことも教えていただきました。
山梨の笛吹市から来られた方は、記念館をよく知っておられて、1年半閉館していたことも知っていました。コロナ禍(か)もあったが、やっと来ることができましたということを聞いて、根強いファンがいるんだなと感銘を受けました。そういう方との一期一会というか、出会いで教えてもらうことも多々あり、非常にやりがいがあります。(岡)

◇記念館庭園は秋の紅葉がすばらしい
ー記念館内の見どころを教えてください。
主屋には先生が「新・平家物語」を執筆していた机があります。ぜひ、その机の前に座って大作家の気分になってもらいたいですね。館内の庭園には、夏にレンゲショウマが咲きます。一番のおすすめは、紅葉のシーズンです。展示館ロビーの椅子に座って、前面のガラスを通して庭園を見ると、樹齢600年の椎(しい)の大木とその右側の紅葉がすばらしいです。大きなガラスで、まるで屏風絵(びょうぶえ)を見ている気持ちになります。また、記念館を外から見るのも楽しめます。吉野街道側の駐車場からライトアップされた紅葉や、記念館裏の愛宕神社から見る記念館裏門と紅葉です。杉皮葺きの小さな裏門とその上を覆う紅葉は、すばらしいフォトスポットだと思います。(岡)

◇先生の資料・エピソードを後世につなげたい
ー今後のガイド活動でやりたい・目指したいことがあれば教えてください。
吉野村時代の先生についての資料とか、エピソードを調べたいと思っていて、皆さんにもお話しする材料を作りたいと思っています。
先生と吉野村との関係について、関わった人もお亡くなりになり、両親の代はあった資料が、亡くなった後捨てちゃったとか、資料なんかも段々となくなっていくような気がします。そういった資料があったら、ぜひ教えていただきたいなと思っています。そういうことをきっちりしないと、次の世代に伝わっていかないんですね。できるだけ早くそういう資料を発掘して後世につなげたいと思います。(岡)

先生が「機織物」、「みがき丸太」「ワサビ」といった地域の事柄を使って作詞し、監修した「吉野音頭」という青梅市の民謡を、館内のすばらしい庭園で地元の老若男女の方に踊っていただけないかなと思っています。歌詞中の事柄は現在とはまるっきり違うかと思いますが、これから子供さん、またお孫さんの方に伝承していければいいかなと思っています。(太田)

記念館の庭園や建物についての説明をはじめ、展示館内のさまざまな資料、先生と一緒に写っている作家の方々とのエピソード、あるいは、作品などについてうまく説明できるようになりたいと思っています。
また、記念館を訪れた子ども達に、かつて青梅に住んでいた先生が、どのような作品を書き、また、どのような作家だったかなどを説明し、子ども達が、「青梅にそんなすごい作家がいたのか」と興味や関心を高めてくれるようなガイドができればいいなと思います。(吉村)

今回のインタビュー動画を公開しています。2次元コードまたはYouTube市公式動画チャンネルをご覧ください。
※2次元コードは本紙3面をご覧ください。

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