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上三川こぼれ話 〜第8話 端午の節句と上三川城〜

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栃木県上三川町

風薫(かお)る5月。至るところで子供の成長を願う鯉のぼりが空を泳いでいます。5月5日は端午(たんご)の節句(せっく)です。町内でも多くのご家庭でお祝いをしていることでしょう。しかしながら、町内にかつてはお祝いをしてはいけない風習がありました。

いまを遡(さかのぼ)ること426年。時は戦国、慶長(けいちょう)2(1597)年の5月4日※、約350年間続いてきた上三川城が、同族の真岡城主芳賀高武(はがたかたけ)の夜襲(やしゅう)を受け、一夜にして落城しました。時の城主今泉高光(いまいずみたかみつ)は長泉(ちょうせん)寺で家臣とともに自害し、上三川城の歴史は幕を閉じます。発端は諸説ありますが、主家宇都宮一族の跡継ぎ問題を巡る内紛であったと考えられています。

明けて5日、上三川の人々は嘆(なげ)き悲しみ、端午の節句のお祝いを自粛(じしゅく)しました。それ以来、上三川城近隣の村々では〝鯉のぼりを立てない〞〝柏餅を食べない〞という風習が生まれました。

400年の歳月の中で徐々に薄れていった風習ですが、何事にも由来というものがあるのですね。そして、戦いの舞台となった上三川城本丸は、公園として整備され町民憩(いこ)いの場となっています。美味しい柏餅を頬張りながら、当時に思いを馳(は)せてみましょう。

※江戸時代に書かれた『下野国誌(しもつけこくし)』によれば5月2日とされます。

問合せ:生涯学習課 文化係
【電話】56-3510

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