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新・下野市風土記

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栃木県下野市

■万葉集に記されている果物
下野市教育委員会 文化財課

今年の夏は異常気象のためか暑い日が続き、全国各地で台風による被害や集中豪雨による潅水(かんすい)被害のほか、北陸新潟地方では水不足による渇水(かっすい)被害で魚沼産コシヒカリなどの作柄にも影響があったようです。
また、7月12日には野木町や小山市南部で発生した竜巻(ダウンバースト)により、家屋や建造物と共にこの地域の特産品である梨も被害を受けてしまいました。本市内にも米や麦のほか、梨やブドウなどの生産者の方々がいらっしゃいますが、今年の作柄はどうだったのでしょう。
小学校の歴史学習で稲作は弥生時代から始まると学びますが、ほかの農業生産物がいつから育成されているのか知っている方は少ないかもしれません。蜀黍・唐黍(トウモロコシ)、胡瓜(キュウリ)、南瓜(カボチャ)、西瓜(スイカ)、隠元豆(インゲンマメ)など、長い歴史の中で日本に持ち込まれた野菜や果物がありますが、この中に梨も含まれるようです。今回は、万葉集にも記されている果物「梨」についてのお話です。

◆梨について
梨はバラ科ナシ属の植物、落葉の高木で、中国から日本に伝わった外来種と考えられています。いつ伝来したのかははっきりしませんが、弥生時代後期(西暦1~2世紀)の遺跡で有名な静岡県登呂遺跡からは梨の種が出土しています。この頃食べられていた梨は「ヤマナシ」に分類される野生の梨で、集落周辺の丘陵などに分布していたと考えられており、稲作と一緒に大陸から持ち込まれたと考えられています。万葉集が編纂(へんさん)された奈良時代に外来種の栽培が進んでいたのか、野生のものを主流として食していたのかは分かりません。

◆古代の梨は飢饉(ききん)の時の「救荒作物(きゅうこうさくもつ)」
『日本書紀』持統天皇7(693)年の詔(みことのり)に、桑(くわ)・苧(からむし)(繊維をとる植物)・栗・蕪菁(あおな)とともに梨を栽培して、五穀(ごこく)の助けとせよ、とあります。この「五穀の助け」とは、天候不順で五穀が取れない時に頼りとなる植物を意味しています。では、なぜ梨が非常時用の食糧だったのでしょう? この時期に美味しい品種「豊水」や「幸水」は、収穫から半月程度で柔らかくなってしまいます。しかし、11月頃収穫され、上手に保存すると正月まで食べることのできる晩生(おくて)で大きめの品種は「日光梨(にっこり)」のように保存ができるため、梨を非常時用の食用植物と考えていたのかもしれません。ただし、古代の梨は現代の梨とは似ても似つかぬもので、当時の梨は直径1cmほどの「マメナシ」という品種と考えられており、これは硬くて渋くておいしいものではなかったようです。「にっこり」の大きさと甘さになるまでの品種改良には、長い苦労があったことと思われます。

◆梨(なし)を詠んだ歌
万葉集には、梨を詠んだ歌が3首採録されています。

▽十巻2188
黄葉(もみちば)のにほひは繁ししかれども妻梨の木手折りかざさむ(読み人知らず)
訳:黄葉はきれいに繁っているけれど、私は(もみじの枝を飾ってあげる相手もいないので)梨の木の枝を折って自分の頭に飾るしかないか。

▽十巻2189
露霜の寒き夕の秋風にもみちにけらし妻梨の木は(読み人知らず)
訳:露霜が降りる寒い夕方の秋風に、梨の木は紅葉してしまったのですね。

▽十六巻3834
梨棗黍(なつめきみ)に粟つぎ延(は)ふ葛の後も逢はむと葵花咲く(読み人知らず)
訳:梨・棗と続くように今は離れているあなたに会いたい。葛のつるが伸びながら別れ、また、つながるようにあなたに会いたい。あなたに逢える日を思うと花咲くようにうれしいのです。

梨ひとつの題材からも、奈良時代の人々は様々な思いの中で日々を暮らしていたことが分かります。
本市内や周辺の遺跡からは、奈良~平安時代前半の土器に「梨」の字を記した墨書土器(ぼくしょどき)も出土しています。おいしい梨だったのでしょうか?

参考文献:奈良の魅力発見「ええ古都なら」(【URL】https://www.nantokanko.jp/tokushu/21747.html)、マイナビ農業(【URL】https://agri.mynavi.jp/)

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