文字サイズ
自治体の皆さまへ

新・下野市風土記

22/54

栃木県下野市

■人はなぜ戦うのか下野市教育委員会文化財課

知々波々我 可之良加伎奈弖 佐久安例弖 伊比之氣等婆是 和須礼加祢豆流
(父母(ちちはは)が 頭(かしら)かき撫(な)で 幸(さ)くあれて いひし言葉(けとば)ぜ 忘(わす)れかねつる)
訳:父母が防人として出立の別れ際に私の頭を撫でて「無事であれ」と言ってくれた言葉が忘れられない。
この歌は『万葉集』巻20-4346に収録されている、駿河(するが)国(現在の静岡県)出身の丈部稲麻呂(はせつかべのいなまろ)が防人(さきもり)として九州に向かう途中に家族を思い出し詠(よ)んだ歌です。
稲麻呂はなぜ、天平勝宝7(755)年2月9日に防人として九州に向かわなければならなかったのでしょう?

西暦600年代の初頭~中頃、東アジアの政治情勢は大きく変化します。大帝国を形成した唐(とう)の南下政策により圧力を加えられた新羅(しらぎ)は、唐に従属するような状況に組み込まれます。その唐・新羅連合軍はさらに南の百済(くだら)に圧力を加えます。660年、唐は13万人、新羅は5万人の兵を百済に派兵し、その結果、百済が滅亡します。同盟国であった倭(わ)(後の日本)は百済の要請に応じ、663年に3派にわたって4万7千名の兵を救援に向かわせます。最大の2万7千名を派兵した第2軍の指揮官には上毛野氏(かみつけのうじ)や阿倍比羅夫(あべのひらふ)が任命されましたが、海戦に不慣れな東国(とうごく)の兵たちは大敗を喫します。この大敗後、唐・新羅の連合軍が九州や本州まで進駐して来ると想定し、難波(なにわ)(大阪市の大阪城付近)にあった宮都を瀬戸内海ルートから遠い内陸の近江(おうみ)国(滋賀県大津市琵琶湖西岸)へと遷(うつ)し、北部九州から大和(やまと)(現在の奈良県)の間には烽火台(のろしだい)や石垣を持つ山城(朝鮮式山城)をつくり防衛体制を固めました。遷せんと都や城を作る作業には多くの労働力が必要となります。さらに対馬(つしま)や北部九州地域の警護のため防人を配置しました。この防人の制度は、飛鳥(あすか)時代から平安(へいあん)時代の間に課せられた税の一つで、当時は税をモノや労働で納めました。稲麻呂が九州に向かうことになったのはこのためです。

防人の多くは東国出身の16歳以上60歳以下の成人男子で、選ばれると3年の間、おもに北九州方面や壱岐(いき)、対馬などの島で勤務しました。下野(しもつけ)国から主な勤務地となる大宰府(だざいふ)(福岡県)までは、まず東山道(とうさんどう)経由でおよそ600km離れた都(藤原京や平城京)へ歩いて行きます。さらに都から難波の港(現在の大阪港)まで歩き、ここで運が良ければ瀬戸内海経由太宰府行の船に乗せてもらえましたが、運が悪いと総移動距離約1,200kmを歩いて移動することもあったようです。
当時の道路は開削されて石だらけのところも多く、さらに病気や飢えとともに途中には盗賊などもいました。防人としての九州への往来はかなり危険な行程で、任期の3年間が過ぎても帰ってくることができた人は果たしてどれくらいいたのでしょうか。
平安時代に編さんされた『延喜式(えんぎしき)』によれば、下野国府(栃木市)から都(平安京)へ税(租)として11月までにコメを届けるのに要する日程は36日以内、帰りは16日以内と決められていました。また、天平10(738)年に東海道沿線の各国の出身地に帰るために駿河国を通過した防人の数はおよそ2千名で、東山道沿線の各国からもほぼ同数の防人が派遣されたと考えられます。
『万葉集』には下野国寒川(さむかわ)郡から防人として派遣された川上臣老(かわかみのおみおう)の歌が収録されています。
旅行に行くと知らずて母父に言申さずて今ぞ悔しけ 『万葉集』巻20-4376
訳:防人として命令を受け九州に向かうと知らず家を出たので、母や父に別れの挨拶もできなかった。今思うとなんと悔しいことだろう。
およそ1,300年前に詠まれた歌ですが、現代の私たちにも理解できる悔しさ、虚しさではないでしょうか。
律令体制が脆弱化する10世紀後半頃に防人制は廃止されますが、それまでの約300年間、実際に防人が東アジア諸国の侵略に対して戦った公式記録は残されていません。いわゆる専守防衛(せんしゅぼうえい)のために派遣された人々でした。現代の私たちは、昭和20年8月15日に終結した太平洋戦争以降、アメリカ合衆国と違って今日まで一人も戦死者を出していないことに対して誇りを持っても良いのではないでしょうか。

参考文献:斎藤茂吉『万葉秀歌』岩波新書、澤地久枝『滄海よ眠れミッドウェー海戦の生と死』文春文庫

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU